アダルトチルドレンは毒親と絶縁してこそ初めて親孝行ができる理由

毒親の下で育った人は、親に反抗したり親との距離を置いたりした方が良いということを頭では分かっていても

自分にも悪いところはあるし、親に反抗したら申し訳ない

などと思ってしまうのではないでしょうか。

そこでこの記事では、なぜ親と距離を置くことに対して罪悪感を持たなくて良いのかをご説明します。

結論から言うと、親に反抗して親と距離を置いた方が親孝行になるからです。

私自身も親との関係では非常に苦労しましたが、今は親との関係が良好になったので、私の経験を踏まえて考えたことを書きたいと思います。

この記事の対象者
  • 親との関係に問題があると自覚している
  • 親との関係が原因で自分に自信が持てない
  • 親と距離を置いた方が良いことを頭では分かっているが、怖い

親の言いなりになっていると「私の親は立派だ」と考えてしまう傾向があるので、「親との関係が原因で自分に自信が持てない」と考えられるだけで素晴らしいことです。

親との関係が原因で自分に自信を持てないアダルトチルドレンが自信を回復するためには3つのステップがあります。

3つのステップ
  • STEP1:全て親のせいにする
  • STEP2:親と距離をおく(全て親のせいにするのを辞める)
  • STEP3:親から自由になる(親と距離を置く必要がなくなる)

毒親育ちの人は、全て親のせいにしたり、親との距離を置くことに罪悪感を覚えてしまうために、親から自由になることができません。

この記事を読んですぐに罪悪感が消えるわけではないですが、親に反抗することが親孝行である理由を頭で理解できれば、必ず感覚も変わってきます。

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全て親のせいにすることに罪悪感を持たない

毒親は、子どもを身体的に虐待したり、育児放棄(ネグレクト)したりという分かりやすいケースだけではありません。

他人の子どもと成績や体格、運動神経を比べたり、「医者になれ」「弁護士になれ」などと自分の希望を子どもに押しつけたりする場合もあります。

さらに分かりにくいのは「人との約束は必ず守れ」「社会に貢献できる人になれ」「一生懸命、全力で努力しろ」といった正しいことを主張している親です。

言っている内容は正しいのですが、「人との約束を守れないお前は価値がない」「社会に貢献できないお前は価値がない」「努力できないお前は価値がない」と言うニュアンスを感じた子どもは自信が無くなります。

「素晴らしくない自分には価値がない」と感じてしまうのです。

毒親はありのままの子どもを肯定せず、自分のイメージする理想像を子どもに押しつけ、実際の子どもが自分の理想像に合わないと様々な手段で子どもを罰します。

子どもは親に捨てられると生きていけないので、親に捨てられないよう自分のやりたいことよりも親の期待に沿って行動するようになります。

小さいうちにこの癖がついてしまうと、自分がやりたいことよりも周囲の期待に応えて行動することが習慣化してしまい、自分のやりたいことが何なのかが分からないまま大人になってしまいます。

親の期待に応えて1つの目標を達成すると、親は「甘えるとダメになる。常に向上心を持つべきだ」と言って更に高い目標を要求します。

期待に応えれば応えるほど親の要求は高くなるので、どこかで期待に応えられずにダウンしてしまいます。

その時、毒親に育てられた子どもは真面目な人ほど「親の期待に応えられず申し訳ない」という気持ちを持つようになり、何事にも自信を持てなくなってしまいます。

このような環境で育ち、自信のないまま大人になってしまった人がアダルトチルドレンです。

ここから一旦抜け出すためには、「自分は悪くない。親が自分を傷つけたから自分はこういう状態に陥っているんだ」と自分を守る必要があります。

全て親のせいにするなんて何事だ!いい大人なんだから、自分にも責任があるだろう!

と言う人が必ず現れます。

確かに、何でもかんでも人のせいにするのは一般的には良くないのですが、これは足し算ができない幼稚園生に向かって「微分積分の問題を解け」と言っているようなもので、ステップが飛びすぎていて無理です。

自分を責めがちな人がこの批判を真に受けると

やっぱり親ではなくて私が悪いんだ

と自分を責めてしまい、前に進めません。

従ってここは

いや、私は1%も悪くない。そもそも親に自分を生んでくれと頼んだ覚えはない。勝手に生んでおいて色々要求してくるのはおかしい。親が100%悪い

と、その人達の批判は無視して自分を守った方が良いです。

親と距離を置くことに罪悪感を持たない

「自分は大変な環境で育ってきた。自分は悪くない。」と本当に思えたら、次は親と距離を置きます。

ここで親と距離を置かないとどうなるかと言うと、親の言動全てに腹が立って親に反抗することになります。

例えば親が「正社員になれ」と言うと、親に反抗するためだけにフリータになります。そして親が「結婚しろ」と言うと、本当は結婚したくても親に反抗するためだけに独身を貫きます。

多くの人は10代の思春期で親に反抗しますが、毒親の影響を強く受けている人は思春期に親へ反抗しなかったので、ここで反抗期を迎えます(人と違うのは悪いことではありません)。

しかし、親に反抗するために親の指示と逆のことをやるというのは結局親に振り回されていて自分の人生を生きられていません。

今までは何をやるにしても「親の期待に応えらているか」を基準にしてきましたが、今度は逆に何をやるときも「親に反抗できているか?」を基準に行動してしまうことになります。

親と関わっている限り冷静に自分自身で決断をするのは難しいので、自分で責任を持って決めるためには親との距離を置いて親からの刺激をシャットアウトする必要があります。

「親と距離を置く」というのは、口で言うのは簡単ですが行動するのは生半可なことではありません。

親からの電話やメールを無視する、引っ越しをして引っ越し先を伝えない、転職して職場も伝えない、冠婚葬祭も行かない、といったことが必要になる場合もあります。

どんなに日常生活で距離を置いても、たとえば祖父母の葬儀に顔を出したときに

あんた何やってんの!いつ就職すんの!いつまでもフリーターなんかやってプラプラしてたら親戚の前でみっともないじゃないの!」「あなたのせいで私は寝込んだのよ!

などと言われたら全てが振り出しに戻ります。

私は2012年から2018年まで親と全面対決しており、結婚式にも両親を呼びませんでしたし、法事などにも顔を出していません。

結果的に今では非常に良好な関係になっており、全く後悔はないものの、親と距離を置いていた時は強い罪悪感にも襲われました(ここで罪悪感を覚えないような人は、そもそも親との関係で悩みません)。

自分が原因で親が病気になってしまったら、取り返しがつかない。親だって、毎日ご飯を作ってくれて自分をここまで育ててくれたんだから、全てが悪いわけじゃない。そんな親を責めてる自分は何と悪いやつなんだ。連絡を取らない間に親が死んでしまったら一生後悔する。

などと考えてしまいます。ここを乗り越えられるかどうかが非常に重要です。

距離を置いたら親が病んでしまうのではないかという心配

親に逆らって親が病気になると自分を責めてしまうかも知れませんが、たとえ親が病気になったとしても自分自身を責めることではありません。

本来、誰でも自分の人生には自分で責任を持つべきで、子どもの発言や行動によって親が不幸になるのであれば、それは親が子どもに精神的に依存している状態と言えます。

親が子どもに依存しているというのは親の未熟さが原因なので、それで病気になったとしても原因は親にあります。

毒親といえども育ててくれた親だからという罪悪感

毒親といえども常に毒親だったわけではなく、小さいころに皆さんのオムツを替えてくれたかもしれませんし、ご飯を作ってここまで育ててくれたかもしれません。

従って、親のことをシャットアウトするのは自分勝手なのではないか?という疑問があるかと思います。

確かに、親が常に悪かったわけではないと思いますが、だからと言って親の機嫌を伺い、親の言うとおりに行動して「自分の人生は親に振り回されて終わった」と死ぬまで親に対して心の底で恨みを抱き続けるのでは却って親に失礼なのではないでしょうか?

親に反抗して自分の好きなように生きて「楽しい人生を送れたから生まれてきてよかった。生んでくれた親に感謝したい」と心の底から思えた方が親孝行ではないでしょうか。

もちろん、親と距離を置かずに精神的に自立できるのであれば、それに越したことはありません。しかし現実には非常に難しいことです。

親と距離を置いて「周りに何と言われようと自分の行動は自分で決める」という習慣を身につけてから親を迎えにいくつもりで考えてはいかがでしょうか。

距離を置いている間に親が病気になったり亡くなる心配

親の介護については、本当に「親を支えたい」と心の底から思うのであれば良いですが、「本当は介護なんてしたくないけど義務だからやらなければならない」という意識なのであれば、真剣に考える必要があります。

そう子どもに思わせてしまった親自身の人生の結果であり、子どもの責任ではありません。親の問題を子どもが背負いこんでしまう必要はなく、親子関係であっても問題は切り分ける必要があります。

「連絡を取らない間に親が死んでしまったら一生後悔する」という心配については、最悪の場合に備えて電話番号かメールアドレスか、1つだけ連絡できる手段は残しておいても良いかも知れません(住所を教えると親によっては押しかけて来るかも知れないので、電話やメールが良いかと思います)。

「それでは不徹底だ」と言われてしまうかも知れませんが、親が親が病気になるなど本当に何かあったときに急に親の態度が変わる可能性もあり、本当に亡くなってしまった後だと後悔する可能性もあるのではないかと思います。緊急事態以外の連絡については全て無視するという形で良いかと思います。

「親が生きている間は親の言うことに逆らうべきではない」とストレスを溜め込んだ結果、親が亡くなってから恨みを爆発させ親の墓に八つ当たりをする人もいるようです。

あなたのことを長年苦しめてきた毒親が、すでにこの世に存在しない場合もあります。この場合、どうすれば良いでしょうか。

影宮竜也「毒親からの完全解放」 P212

毒親カウンセラーの影宮氏の本によると、親が亡くなった後で親に対する怒りが抑えられなくなる人も多いようです。その場合には親の墓へ行くことを勧めています。

周りに人がいないのを確かめ、他に眠るご先祖様に一礼したのち、「これから○○(毒親の名前)に仕返ししますので、失礼します」と心の中で呟き、毒親の顔を思い浮かべながら用意していたバケツの水をお墓に向けて思いきりぶちまけてください。気が済むまで、何度行っても構いません。気が済んだら、他に眠るご先祖様にお詫びする気持ちで「お騒がせしてしまい申し訳ございませんでした」と一礼して終わらせてください。

影宮竜也「毒親からの完全解放」 P213

親に反抗したり親と距離を置いたりしたら、親が亡くなってから後悔するのではないかと心配する方もいるかも知れません。

しかし逆に、親が亡くなってから「親が生きているうちに決着をつけておけば良かった」と後悔する可能性もあります。

親が生きている間は親に反抗していても、親が亡くなった後に心から親のことを追悼できた方が幸せではないでしょうか。

極論ですが、「親孝行するのは親が亡くなってからでも大丈夫」くらいの構えでも問題ないと個人的には思います。

「生きているうちに親孝行をしなければ間に合わない」と焦るのはもっともですが、焦っても苦しくなって逆に親に対する恨みが強くなるばかりではないでしょうか。


引用した「毒親からの完全解放 〜本当の自分を取り戻して幸せになる7つのステップ〜」という本には、親から自立するために必要なステップが網羅されており、親から解放されるために何をすれば良いのかが分かりやすく説明されているため、とてもオススメです。
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親から自由になることが目的

親と距離を置くことは目的ではありません。親から自由になって、自分のことを自分で決断し、自分で決めたことを周りのせいにしないことが目的です。

親の顔色を気にせずに自分の行動を自分で決断できるようになったら、親と距離を置く必要はありません。

「親が変わるのを待つ」「親からアレコレ言われなくなるまで距離を置く」という考え方では、いつまでも変わりません。

「過去と他人は変えられない」と言いますが、親は変えられないので自分が変わるしかありません

結局、親ではなくて自分が悪いってこと?最初に、「全部親のせいにして良い」と言ってたのは何だったの?

という疑問があるかも知れませんが、「自分に原因がある」ということと「自分が悪い」ということは別です。

親の顔色を気にして自分の意思で物事を決められない原因は自分にありますが、だからと言って「悪いのは親ではなく自分だ」ということにはなりません。

この違いについては自責思考・他責思考ではなく「自因思考」! 自分を責めずに改善するをご参照ください。

どうしても罪悪感が取れない方にオススメの動画があります。

ニッポン放送の「テレフォン人生相談」ですが、小さい頃に子どもを虐待していた親が、子どもが大きくなってから子どもに絶縁されて相談しているという内容です。

回答者は「子どもには親から逃げて欲しい」と言っています。子どもの側は逃げることに罪悪感を持つ必要はありません。

これは肉体的に虐待を受けた人だけでなく、小さい頃から親に精神的なプレッシャーをかけられ「親と会いたくない(が会わないと罪悪感がある)」と感じている人にも当てはまるのではないかと思います。

自分の決断に責任を持つことが親孝行

この記事は「親との絶縁こそ親孝行」という過激なタイトルをつけました。

親と距離を置いて自分の決断に責任を持ち、自分らしくいられてこそ、自然と親に感謝する気持ちが芽生えます。

それこそが本当の親孝行ではないか?という意味です。

決して「親の言いなりになること」が親孝行ではありません。

なお、最後は「結局、親孝行が良い」みたいなトーンになってしまいましたが、世の中には子どもを虐待したり、子どもが苦しむのを楽しむようなサイコパスの親も本当にいますし、小さい頃に親に捨てられて親の顔を見たことがない人もいます。

従って「親に感謝できるようになることが立派だ」などとは思いません。私の場合は幸せなことにそこまで酷い環境で育ったわけではないですが、もし死ぬまで親に感謝する気にならないなら、それはそれで本人の自由ですし問題ないと思います。

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