女系天皇容認問題 賛成派と反対派の主張をわかりやすく説明します

秋篠宮悠仁様が誕生する2006年より前、「女性天皇を認めるか?」「女系天皇を認めるか?」という議論が盛んに行われていました。

「女系天皇を容認しますか?」という世論調査では、賛成派が反対派を上回っているようです。(参考【産経・FNN合同世論調査】女系天皇と女性宮家に「賛成」64%

女系天皇を巡る議論は、男系男子の悠仁様が生まれて以降あまり議論はされていませんが、将来またどこかで直面しなければならない可能性が高いです。

しかし、何が問題となっているのか分かりにくい議論でもあります。

実は女系天皇問題というのは、皇位継承問題だけに留まらず、背後に日本国憲法を認めるか、国民主権を受け入れるかという重たい問題を抱えています。

そこでこの記事では、女系天皇容認論を巡る賛成派と反対派それぞれの主張を詳しくご説明します。

女系天皇を巡る問題の背景には、以下の2つの問題に関する意見の相違があります。

 

女系天皇を巡る論点
  • 天皇の存在意義
  • 天皇となる資格

 

それぞれの立場による主張は以下の通りです。

女系賛成派 女系反対派
存在意義 国民の象徴 血統と祭祀
資格 国民の総意 男系子孫
譲位 賛成 反対

この記事では、それぞれの主張の根拠を詳しくご説明します。

注意!

ここから先の内容は「女系天皇とは何か」を理解していることが前提となります。

女性天皇と女系天皇の区別がつかないと、この先の内容はチンプンカンプンだと思います。

女系天皇については、下記ブログにてイラスト付きで分かりやすく説明されています。

参考URL 女性天皇と女系天皇の違いとは?を図解でわかりやすく!

女性天皇と女系天皇との違いが分からない方はぜひご覧ください。

女系天皇の定義について、このブログでは説明を省略します。

 

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皇位継承の歴史と女系天皇問題が発生した経緯

まず、これまでの男系皇位継承の歴史と女系天皇容認問題が発生した経緯をご説明します。

これまで男系天皇を維持できた理由

天皇家は初代の神武天皇から一貫して男系の皇位継承が維持されてきました(万世一系)。

生物学的にいうと、神武天皇のY染色体が今上天皇まで維持されてきました。

しかし天皇に男子が生まれないというのは、昔からよくあることでした。

初代の神武天皇から途絶えることなく男系の皇位継承を維持できた理由は

  • 側室制度
  • 宮家

の2つの制度があったからです。

側室とは天皇に複数の奥さんがいることです。

なんと、過去400年間で正室から生まれた天皇は109代の明正天皇、124代の昭和天皇、125代の現上皇、126代の今上天皇のみだったそうです。

そして宮家は、天皇家の血筋を引く家系です。

江戸時代には中御門天皇の系統が後桃園天皇で断絶したので、閑院宮という宮家から光格天皇が即位しました。

このように天皇の正室から男系男子が生まれないことは昔からよくあり、側室と宮家によって男系男子による皇位継承が維持されてきました。

側室廃止と宮家減少の経緯

側室と宮家によって維持されてきた男系男子による皇位継承は、どのように変化したのでしょうか。

明治天皇までは側室が置かれていましたが、大正天皇は正室との間に4人の男子が生まれ、また大正天皇自身がとても家庭的な人だったため、側室を設けませんでした。

話が脱線しますが、大正天皇は非常に気さくな人柄で、身分を問わず誰とでも気さくに話をしたので、明治天皇から怒られていたそうです。

その後、昭和天皇のときに正式に側室が廃止されます。

宮家については、戦後の昭和22年10月14日に「皇籍離脱」が実施され、多くの皇族が民間人となりました。

これ以降は、大正天皇の直系の子孫(昭和天皇の兄弟)のみが宮家となります。

当時は皇室の他に宮家が3つもあれば男系男子を維持できると考えたのだと思いますが、2019年現在では秋篠宮の悠仁様以外は誰も男系男子がいない状況になってしまいました。

悠仁様に男子ができないと、男系男子は維持できないことになります。

今後も男系男子を維持する方法

Wikipediaには天皇家を維持するために取りうる手段として以下の方法が挙げられています。

① 皇籍離脱した旧皇族を皇籍に復帰させる。
② 皇族女子(内親王および女王)に旧皇族の男系男子から養子を取れるようにし、その方に皇位継承資格を与える。
③ 廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀を、伏見宮家の子孫である旧皇族の男系男子が継承し、宮家を再興する。
④ 昔のように「側室」を置く。

女系天皇 - Wikipedia

まず、不倫がこれだけ叩かれている世の中で④はさすがに難しいのではないでしょうか。

①~③は、要するに一般人として生活している天皇家の男系子孫を皇族に戻すということです。

しかし、皇族へ戻ることになる本人からすれば職業選択の自由や居住移動の自由を制限されることになので、憲法の兼ね合いで問題になるのではないでしょうか。

また「本人が拒否すれば皇族復帰をしないが本人が「OK」と言えば皇族復帰をする」という話になると、皇位継承に本人の意思が介在することになります。

男系の皇位継承が途絶えたときの選択肢

悠仁様以降、男系の子孫が未来永劫続いていけば全く問題がありませんが、どこかで男系の皇位継承が途絶えてしまったときには3つの選択肢があります。

  • 旧宮家か側室を復活させて男系の皇位継承をする
  • 女系天皇を容認する
  • 天皇制を廃止する

宮家や側室を復活させるくらいなら女系天皇を認めた方が良い、というのが女系天皇賛成派です。

一方の保守派の中には女系天皇を認めるくらいなら天皇制を廃止した方が良い、という人もいます。

女系天皇容認問題の背景

女系天皇容認問題は、背景に天皇になる資格と天皇の存在意義を巡る考え方の違いがあります。

天皇の譲位を巡る議論にも共通します。

この背景が分かると、女系天皇賛成派、反対派それぞれの考え方について理解が深まります。

天皇となる資格を巡る考え方の違い

天皇はなぜ天皇なのか?ということを巡り、考え方の対立があります。

女系天皇反対派の意見から先にご紹介します。

「皇祖皇宗の男系子孫であることが重要」と考える女系天皇反対派

天皇家は初代から1人の例外もなくずっと男系で継承しており、この伝統が(神話上は)2500年以上存続しています。

保守派は、続いてきた伝統を継続することを重視しています。

男系継承の原理は古から変更されることなく、現在まで貫徹されてきた。これを重く捉えなくてはいけない。例えば、現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容にかかわらず、最古故にこれを簡単に立て替えてはいけない。同様に、天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない。
もはや理由などどうでもよいのである。特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない。

大日本帝国憲法の時代には、天皇は国民の総意に基づいて天皇になったわけではありません。

神話上の初代天皇とされる神武天皇から連なる男系子孫だから天皇になることができたわけです。

神様から任された日本の統治を天皇が引き継いでいる、というストーリーです。

確かに、古代以来一度も途絶えたことのない長い伝統を自分達の代で終了させるのは、非常に勇気が必要なことですよね。

一度でも「女系天皇」という存在を日本の歴史上に残してしまえば、その歴史を消すことはできません。

保守派の人達が伝えたいのは男系の伝統を途絶えさせることが日本の歴史と将来にとってどれ程重たい決断なのか、多くの国民は本当に分かっているのかということです。

「日本国民の総意に基づくことが重要」と考える女系天皇賛成派

一方の賛成派は、男系継承の天皇よりも憲法の規定を重視します。

日本国憲法には、以下のような条文があります。

〔天皇の地位と主権在民〕

第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

〔皇位の世襲〕

第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

日本国憲法によれば、日本の主役は天皇ではなく国民であり、天皇家の伝統は国民の総意で変えることができます。

天皇は皇祖皇宗の血を引いているから天皇なのではなく、国民の総意によって支持されているから天皇である、ということです。

ここで再び、日本国憲法に戻ってみましょう。
第1条には、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、第2条には「皇位は、世襲のもの」とあります。
この2点に着目すれば、私たち国民の総意に基づくのであれば、皇室典範を改正して、女性天皇や女系天皇を認めることは、憲法上、何ら問題はありません。

憲法2条には「世襲」と書かれてはいますが、日本国憲法の三大原理は国民主権、平和主義、基本的人権の尊重であって、天皇の世襲制は国民主権よりも劣ります。

極端なことを言えば、もし全国民の中から投票で天皇を選ぶことが国民の総意になれば、そのように憲法2条を改正しても構わないということです。

さて、国民の総意が男系による継承を望んでいるのであれば、賛成派と反対派の間に対立は発生しません。

しかし実際の世論調査では、既に一般人として生活している遠い男系子孫の親戚を宮家として復活させるよりも、女系天皇を容認する人の方が多いようです。

この背景には、天皇の役割を巡る考え方の違いがあります。

天皇の存在意義を巡る考え方の違い

女系天皇容認論を巡る考え方の違いには、もう1つの背景として天皇の存在意義を巡る考え方の違いがあります。

首相官邸のホームページ有識者ヒアリングで表明された 意見についてを読むと、天皇の存在意義を巡る両者の違いがよく分かります。

女系天皇賛成派の考え方から先に紹介します。

「天皇の存在意義は公務を果たすこと」と考える女系天皇賛成派

これまで天皇皇后両陛下は震災の被災地などに足を運び、国民を励まされてきました。

天皇が被災地へ足を運ぶと、被災者の方がとても励まされ、復興に向けて前向きな気持ちになります。

天皇の下で国民が一致団結して困難を乗り越えられること、これこそが日本国民統合の象徴としての役割である、というのが女系天皇賛成派の考え方です。

これは明仁上皇自身が2018年の誕生日の記者会見の際におっしゃっています。

私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。

首相官邸のホームページに掲載されている有識者会議でも、「天皇の役割を国民の期待に答えること」としている意見が多数ありました。

象徴天皇の役割は、憲法でその地位を基礎づけている日本国民の総意に応えられるよう、国家と国民統合のため、自ら可能な限り積極的に「お務め」を果たされることだ。

いくら神武天皇の男系子孫であっても、現在の皇室から遠い親戚である一般人が突然天皇になって被災地を訪れたら、国民統合の象徴として国民からの尊敬を受けられるでしょうか?

10月23日のYahooニュースで、「男系皇位継承を堅持 旧宮家男子の皇族復帰 自民有志「護る会」提言」というニュースがありました。産経新聞からの転載のようです。

記事の内容は置いておいて、注目したいのはコメント欄です。最も「Good」がついていたコメントは

旧宮家をいち早く復帰させることの理由は減った皇族の補充もあるけどもう1つはその子供にいつなってもらってもいいように教育を施すためだと思う。流石に復帰したばかりの人には問題あるから。

というものでした。それ以外のコメントも、男系の皇位継承を無条件で認める意見はほぼありませんでした。

2019年10月現在では秋篠宮眞子様の婚約相手である小室圭の家族の金銭問題が炎上していますが、「男系の皇位継承を無条件で認める」「天皇の役割は続くことと祈ることであって人格は関係ない」とは、男系子孫であれば小室圭のような人間が天皇になっても構わないということです。

それは国民主権の現代では認められないのではないでしょうか。

やはり小さい頃から皇室で過ごし、長い年月をかけて天皇家の役割を理解している人であればこそ国民統合としての役割を担えるのではないでしょうか?

従って、たとえ女系であっても立派に公務を果たせるのであれば天皇になって構わない、というのが女系賛成派の考え方です。

また女系天皇賛成派は、公務を果たすのが難しくなれば天皇は務まらないと考え、譲位も肯定します。

「天皇の存在意義は続くことと祈ること」と考える女系天皇反対派

これに対し女系天皇反対派は、天皇の存在意義は続くことと祈ることであり、公務は天皇の存在意義ではないと考えます。

以下は、女系天皇反対派の八木秀次氏が賛成派の小林よしのり氏と対談したときのコメントです。

八木秀次:公務の問題ですが、今の国民は、被災地訪問をはじめとする天皇陛下の精力的な活動を深く理解し、感謝の念を持っていますよね。そこに私は危うさを感じる。というのも、天皇陛下は全身全霊で公務を務めてこそ天皇だとお考えになっていて、それができなくなるから退位を望まれている。すると国民は、今の皇太子殿下が即位した後も同じように精力的な活動を期待するでしょう。
しかし、同じことができるとは限らない。そのとき国民は前天皇と現天皇を比較して、能力評価する。そこで国民が対立して、権威が二分化することを私は懸念します。

「天皇の役割は続くことと祈ること」と考える人達は、将来もし公務の務めを果たせない無能な天皇が現れたとき、天皇の存在意義がなくなるではないか、ということを心配しています。

日本の伝統では、天皇は能力と関係なく血筋だけに基づいて継承されてきました。

皇位継承者であれば、無能であっても天皇となることができました。

天皇家は続くことと祈るという聖なる 役割に意味がある。(平川氏)

女系天皇反対派からすると「公務を立派に果たせる天皇が素晴らしい」という考え方は日本の伝統に逆らう考え方だということになります。

「八月革命説」を受け入れるかどうか

ここまで、女系賛成派と反対派それぞれの主張の背景にある価値観について考えてきました。

この価値観の違いを更に深掘りすると、「八月革命説を受け入れるか」どうかという論点に行き着くと私は考えています。

八月革命説とは、法律上1945年8月に日本の主権者が天皇から国民へと移る革命が発生したと考える説です。

革命のときに国王をギロチン台で処刑したフランスとは異なり、日本では国民が天皇に対して革命を起こすことはありませんでした。

しかし、法律上は革命が起こっているというのが八月革命説です。

八月革命説(はちがつかくめいせつ)とは、1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾により、主権の所在が天皇から国民に移行し、日本国憲法は新たに主権者となった国民が制定したと考える学説のこと。主権の所在の移行を、法的な意味での革命、革命という法的な擬制(フィクション)を用いて説くことからこう称される。憲法学者の宮沢俊義により提唱された。

 

大日本帝国憲法では神勅により皇祖皇宗(天皇の先祖)から天皇が日本の統治権を与えられた、という建前になっていました。

それに対し、日本国憲法では日本の統治権が国民のものになり、天皇は皇祖皇宗とは関係なく国民の総意に基づいて即位することになりました。

表面上は天皇制が続いていますが、戦前までと戦後では天皇が即位する原理は全く異なります。

江戸時代以前も朝廷より幕府が強いことはありましたが、それでも将軍は天皇が任命するという形式を採用していました。

日本の伝統に基づけば、天皇が国民に三権分立や議会制民主主義、言論の自由などの基本的人権を与えるべきです(天賦人権思想ならぬ、天皇賦人権思想と言えます)。

しかし戦後は天皇と国民の地位が逆転し、国民が天皇の地位を与えることになりました。

これは日本の歴史上では有り得なかったことで、まさに革命です。

神武天皇以来、天皇が統治していた日本は1945年8月に一度ピリオドが打たれ、法律上の革命によって主権を取った国民が再度同じ人とその子孫を天皇として迎え入れた、という形になっています。

天皇は国民の総意に基づいて天皇に即位しているので、国民の期待に応えることが求められます。

八木秀次氏のように「天皇は国民の期待に応える必要はなく、存在するだけで良い」という考え方は「引き続き日本の主権者は天皇である」という前提に立たなければ正当性を主張できないのではないでしょうか。

なぜなら「主権が国民にある」という前提に立つと、もし天皇が何もせず国民の期待に応えないなら「天皇は主権者である国民の税金を使って何をやっているんだ」という疑問が生じるからです。

女系天皇反対派の「天皇は何もしなくても存在するだけで良い」という考え方を突き詰めていくと、国民主権を否定する日本国憲法無効論に発展すると私は考えています。

日本国憲法無効論について

大日本帝国憲法での主権者は天皇でしたが、日本国憲法では主権者が国民になりました。

日本国憲法は、形式的には大日本帝国憲法を改正した形式でしたが、実質的には神勅によって皇祖皇宗から歴代天皇に与えられた日本の主権を国民が奪った形になりました。

保守派は、「イザナギノミコトが作って歴代天皇が守ってきた日本を、国民が勝手に横取りしたら、それは泥棒と同じじゃないか!そんなことが許されるか!」という感覚なのかも知れません。

「主権者を変更するような憲法改正は認められない!日本国憲法は無効だ!今でも大日本帝国憲法が正式な日本の憲法だ!」というのが日本国憲法無効論です(憲法改正限界説)。

女系天皇反対派(保守派)の中には日本国憲法無効論を唱える人も少なくありません。

八月革命説を唱えた宮沢俊義先生の師匠にあたり、天皇機関説で有名な美濃部達吉先生も、主権を変更する憲法改正には反対をされていたそうです。

従って、憲法無効論は突拍子もないトンデモ論とは言い切れません。

日本国憲法が無効なのであれば、池上彰氏がいう「憲法上問題がないから、女系天皇にして良い」という理論は成立しないことになります。

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正統性と正当性の対立

女系天皇容認問題とは、掘り下げていくと正統性と正当性の対立と言えます。

女系天皇反対派は、天皇家の伝統との整合性(正統性)を重視します。

「天皇の役割を公務の遂行に求めたり、国民の総意で女系を認められる」という考え方は皇室の伝統に反するので受け入れられない、という考え方です。

それに対し賛成派は、憲法の規定との整合性や、天皇が国民の期待に応えられる能力(正当性)を重視します。

女系天皇容認論は「国民主権を受け入れるか?」という問題と直結しているのではないでしょうか。

女系天皇に対する私の考え

確かに(神話上)2500年以上ものあいだ1人の例外もなく続いた男系継承の伝統は非常に重く、戦後に成立した日本国憲法を理由として長い伝統を破壊して良いのか?という保守派の気持ちも分かります。

しかし一方で、現在の憲法は(押しつけ論もあるとはいえ)300万人以上の犠牲を払った戦争の経験から国民主権の大切を痛感した日本国民によって支持されているもので、こちらもまた非常に重たいものです。

第2次世界大戦の経験をきっかけに、日本の主権は天皇から国民へ移りました。

そして、天皇が天皇である理由は、皇祖皇宗の男系子孫であるからではなく、国民の総意に基づくものとなりました。

主権者である国民の税金で生活する天皇は、単に存在して祈っているだけでなく、国民統合の象徴として務めを果たし国民の期待に応えなければなりません。

従って象徴としての務めを果たせるのであれば女系でも構わないのではないかというのが私の考えです。

現在の皇室から遠く一般人として生活している男系の親族を天皇として迎えるよりも、現在の皇室に近い女系の子孫を天皇とした方が、多くの国民にとって親近感も感じられて総意を得られるのではないかと思います(その点は異論があるかも知れませんが)。

保守派の方の中には、国民主権そのものを否定し、日本の主権者は天皇であるべきだという人もいます。

国民主権を否定する前提に立つなら、女系天皇を否定するのは当然の帰結です。

しかし「国民が主権者となるのは、衆愚政治に陥り危険である」という考え方は、中国共産党による一党独裁を肯定する中国人の考え方に近いと私は感じます。

詳しくは下記記事をご参照ください。

「国民主権にリスクがあるから国民から主権を取り上げる」という中国的な発想は、本末転倒のように思います。

「国民が主権を行使しても国が繁栄するよう、日本国民全員にきちんとした教育の機会を与える」というのが日本が目指すべき国の形ではないでしょうか。

日本国憲法の基本原理である国民主権を堅持する前提で、女系天皇を容認しても良いというのが私の考えです。

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