【中国とインドの比較】違うようで似ている両大国の共通点と相違点

まず、中国とインドを非常に乱暴に比較してみましょう(あくまで私個人の感想です)。

中国 インド
心構え ナメられたら負け イライラしたら負け
最重要事項 経済成長と国家統一 宗教と多様性
統制 強すぎる 弱すぎる
お互いの印象 汚くて貧しい 自己中
似てる国 アメリカ イギリス

人口が10億を超える国は世界で中国とインドしかありませんが、この両国はよく似ています。

  • 人口が多い
  • 面積が広い(インドは日本の9倍、中国は26倍)
  • 多民族で多様な言語がある
  • 貧富の格差が激しい
  • 経済成長が著しい
  • 悠久の歴史を持つ

私はインド・チェンナイの会社で4年ほど働いたあと、中国の広州で働いていますが、中国とインドは知れば知るほど似ていると感じます。

一方、中国とインドが決定的な違いがあり、それは政府による統制の強さです。

暮らしてみた実感としては、中国は世界トップクラスの管理社会で、インドは世界トップクラスのカオス社会と感じます。

「管理社会よりは自由な社会の方が良い」と思うかもしれませんが、インドの自由さは想像の斜め上を行っていて、それはそれで大変なんです。

むしろインドと中国で暮らしてみた結果、民主制のデメリットと独裁国家のメリットも理解できたというのが正直な感想です(「どちらが良いのか一概に断言できない」という意味で、「民主国家よりも独裁国家の方が良い」と言いたいわけでは決してありません)。

この記事では、中国とインドの両方で生活している私が両者を比較して、似てるポイントと違うポイントご紹介しますが、この「政府の統制の強さが違う」という点を頭の隅に置いておくと、共通点と相違点をより深く理解できると思います。

私の感想としては、インドを統制すると中国になり、中国を統制するとインドになるという印象です。

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中国とインドの共通点1:四大都市の関係が似ている

上海 全景

中国もインドも一級の大都市は4つあります(中国の一級都市は4都市であるのに対し、インドのTier1都市は他にももう少しありますが、実質的には以下の4都市が一級都市です)。

中国の四大都市は北京、上海、広州、深圳と言われ、インドの四大都市はデリー、ムンバイ、チェンナイ、バンガロールと言われます。

この四大都市が似ていて、以下の対応関係にあります。

北京=デリー

上海=ムンバイ

広州=チェンナイ

深圳=バンガロール

北京とデリーは共に北の方にある歴史ある首都で、首都の言語が標準語に設定されています。

上海とムンバイは共に19世紀から発展した港町で、国内一の金融都市として発展しています。

広州とチェンナイは共にのんびりした南国気質で、日系企業の製造拠点も多く、独自の言語(広東語とタミル語)に誇りを持っています。

深圳とバンガロールは共に21世紀に入ってから急激に発展したIT都市で、全国から優秀なIT人材が集まっています。

この点については詳しく書くと非常に長くなるので、別の記事でご紹介する予定です。

中国とインドの共通点2:言語状況が似ている

バラナシ

インドの言語状況についてはインドに住んで感じたインドの言語状況でご紹介していますが、中国も似たような状況です。

北は標準語、南は地方毎に言語が異なる

中国もインドも、北に位置する首都の言葉が標準語に設定されているため、北の言葉が標準語です。

中国の標準語は中国語(普通話)、インドはヒンディーですが、いずれも首都近郊の言葉です。

さらに似ているのが、中国もインドも、なぜか国内の北方では広範囲で標準語が話されており、南方では州(省)毎に大きく言語が異なるのです。

中国の場合、長江より北では(地域ごとの訛りはあるものの)標準中国語が話され、長江より南では地域毎に異なる言語が話されます。

例えば広東省は広東語、福健省や海南省では閩語、湖南省では湘語・・・などです。

これらの言葉はそれぞれお互いに通じないほど異なります。

私は中国の南方方言もヨーロッパの言語も詳しくないですが、スペイン語とフランス語の差よりも大きいと聞いたこともあります。

インドも同じで、北インドではビハール州、ウッタル・プラデーシュ州、ハリヤナ州などの多くの州でヒンディーが話されていますが、南インドではタミルナドゥ州のタミル語、カルナタカ州のカンナダ語など、州によって言語が異なります。

北京の人は広東語を一言も分からず、デリーの人はタミル語を一言も分かりません。

そして両国とも人口が14億人いるので方言といっても話者数は多く、例えば広東語とタミル語だけでもそれぞれ7000~8000万人の話者がいると言われています。

同じ国の中で標準語と全く異なる言語を話す人々が7000万人もいるって凄いことではないでしょうか?

広東語話者とタミル語話者の方言に対する愛着が高い

中国もインドも首都は国土の北の方にありますが、首都から距離がある最南端の人達は自分たちの言語に対して非常に高いプライドを持っています。

中国では広東省の広東語、インドではタミルナドゥ州のタミル語です。

もともと広東語は中国に数多くある方言の1つに過ぎませんでしたが

  • 香港がアジア屈指の金融都市として成長した
  • 海外へ渡航した中国人は広東省出身者が多く、海外のチャイナタウンでは広東語が話される

といった理由で存在感を増し、広東語を話す地域は広東語に誇りを持つようになりました。

一方タミル語は、古代のインドの言葉を最もよく残している言葉とされ、タミル語話者は「ヒンディーではなくタミル語こそがインドの言葉だ」というプライドを持っています。

ただ中国とインドが違うのは、広東省の人達はほぼ全員標準中国語がペラペラなのに対し、タミルナドゥ州にはヒンディーを全く理解できない人も多いという点です。

この違いが生じる理由が、冒頭でご紹介した中央政府の統制の強さです。

中国も数十年前までは本当に言葉がバラバラで、同じ中国人同士でも会話が成立しなかったようですが、中国の中央政府は全国一律で標準中国語を強制したので、今では8割以上の中国人が標準中国語を理解できるそうです(参考リンク)。

「ワイルド・スワン」という、大混乱時代の中国を描いた小説を読むと、1960年代の文化大革命期に全国から集まった若者(紅衛兵)達が、お互いに全く通じない言葉を話して会話が成り立たないという話が書かれていますので、昔は中国もインドのように標準語を理解しない人が多かったようです。

ひょっとしたら広東省の人達は本音では標準中国語が強制されるのを嫌がり、広東語だけを話したいのかもしれませんが、中央政府による標準語の使用強制は問答無用なので、反対する余地はありません。

一方、インドの中央政府もヒンディーの普及を進めたいようですが、タミルナドゥ州が断固拒否してきたため、今でもタミルナドゥ州にはヒンディーを話せない人が多いです。

中央政府
そこまで嫌なら無理してヒンディーを話さなくていいよ

インドは州の力が強くて中央政府にもヒンディーを強制する権限はないようで、インド政府の統制の弱さがよく現れています。

私がチェンナイで働いてきたとき、オフィスにヒンディーの電話がかかってくると、ヒンディーを聞き取れないインド人社員が「誰かヒンディーを話せる人!」と、まるで日本のオフィスに英語の電話がかかってきたようなドタバタした雰囲気になりました。

また、インドの独立記念日である8月15日には首相がヒンディー語で演説をしますが、タミルナドゥ州の人の中には自分の国の首相が何を話しているのか聞き取れず、タミル語なり英語なりに翻訳してもらわなければ理解できない人もいるそうです(特に高齢者)。

私自身はヒンディーを話せないので、タミルナドゥ州でどのくらいヒンディーが通じるのか分からないのですが、ヒンドィーを話せる日本人に聞くと「タミルナドゥ州だけは本当にビックリするくらいヒンディーが通じないね」と言います。

今では中国人同士で言葉が通じないということは殆どないと思いますが、インド人の中は自分の生まれ育った土地から一生外へ出ない人もおり、そういう人達同士では言葉が通じないこともあるようです。

ヒンディーと英語の微妙な関係

インドの標準語はヒンディーで、首相もヒンディーで演説をしますが、インドの学校では英語で授業し、ホワイトカラーのビジネス言語も英語です。

インドは全土がイギリスに統治されていたので英語がよく通じます。

中国でいうと香港だけがインドと似たような状況です。旧統治国言語の英語がビジネスでは広く使われていますが、現地人同士は広東語でやり取りをしており、最近は標準中国語も浸透してきています。

言い換えると、インドは国全体が香港だとも言えます。

インドは多くの地域で、香港と同じく「英語+標準語(ヒンディー)+現地語」という三層構造になっています。

私は4年間インドの会社で働いていましたが、インド人同士がヒンディーやタミル語でメールのやり取りをしているのは見たことがなく、インド人同士でも英語のメールを送っていました。

とはいえ英語を流暢に使えるのは全人口のうちインテリ層の10%程度とされ、それ以外の人達はローカルの言語を話します。

ヒンディーしか話せないデリーの一般庶民とタミル語しか話せないチェンナイの一般庶民では会話が成り立ちません。

つまり、全国民が共通して理解できる言葉がないということですね。ここが中国との違いです。

英語を話せない層の人達は自分が生まれた州から出ない人も多いので不便はないようです。

とはいえインドも経済発展に伴い人の移動が多くなり、またテレビやインターネットが普及するにつれてヒンディーを理解できる人は年々増えているそうです。

ただ、中央政府が全国一律に標準語を強制する中国に比べると、インドでヒンディーが浸透する速度はゆっくりなようです。

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中国とインドの共通点3:中国には中国しかなくインドにはインドしかない

クアラルンプール 中華街

中国もインドも14億人の人口を有し、国土が巨大(中国は日本の25倍、インドは9倍)なため、様々な民族が暮らしています。

インドは461の民族が先住民族として指定されており(参考URL)、中国では55の少数民族がいます(さすがに中国とインドで民族の定義は違うと思います。知らんけど)。

これだけの多民族なので、中国やインド国内でも多くの文化(食習慣や言語など)に触れることができます。

たとえばインド各地でチベット系のご飯(モモと呼ばれる餃子など)を楽しめますし、中国各地でウイグル系のイスラム料理を楽しめます。

しかし、中国もインドも国内で世界が完結していて、海外の文化は少ない印象です。

どちらの国も欧米のご飯(スパゲッティやピザ、コーヒー、マクドナルドやケンタッキーなど)は浸透していますが日本ほどではなく、欧米以外の食事は殆ど見かけません。

インド人は3食インド料理を食べていますし、中国人は3食中華料理を食べています。

日本であれば今や全国どこでも本格的な中華もインド料理もありますし、都会であれば欧米の料理はもちろん、アフリカ料理だろうが中東料理だろうが南米料理だろうが、なんでも揃っています。

中華料理もインド料理も、欧米や東南アジアなど世界各地で食べることができますが、インドで本格中華を食べるのは難しく、中国で本格インド料理を食べるのは難しいです。

私がインドのチェンナイに住んでいた時、中国人が経営するガチ中華は1軒しか見かけませんでしたし、いま中国の広州でインド料理を検索しても、カレーとビリヤニの店が1~2軒ヒットするくらいで、本格的なインド料理は香港へ行かなければ食べられません。

インドでは"Chinese"という表記を見かけますが、これはインド化された中華料理で、日本でいうと横浜ラーメンや九州ラーメンみたいなもの(ラーメンの発祥は中国ですが、横浜ラーメンは中華料理ではなく日本食と認識されるはずです)です。

東南アジアへ行けばどちらもあるのですが、本国の中国とインドには中国とインドのものしかなく、結果としてよく似てるなぁという印象です。

中国とインドの相違点1:政治体制

天安門

ここから中国とインドの違いについて色々とご紹介しますが、「統制の強さの違い」という一言に集約されます。

共産党独裁の中国と複数政党制のインド

多くの日本人の方は中国と言えば一党独裁の共産主義国、インドは日本と同じ自由民主主義陣営の国というイメージがあると思います。

中国が一党独裁なのは知ってるけど、インドって民主主義なの?独裁者はいないの?

と疑問に思う人もいるかも知れませんが、インドは建国から一貫して選挙を実施し、民主主義を貫いています。

数億人もの人が文字を読めないインドで、全員で選挙をやるのは凄いことです。

言論の自由があるインドと規制のある中国

中国では政府による言論統制が強いため、Twitter、Facebook、YouTube、LINE、WhatsAppなど、世界各国で使われているWebサービスを利用することができません

中国国内では中国独自のアプリを利用できますが、常に監視されていると言われており、政府の批判をすると警察に捕まる場合があります。

一方、インドではそういった規制は一切ありません。私はインドに来る前は、「所詮、発展途上国だから自由な政府批判は難しいだろう」と思っていましたが、言論の自由度で言えば日本と全く変わりません。

インド人は本当によく喋りますし主張が激しく、公然と政府の批判を行います。建国の父とも言えるガンディーやネルーに対しても、「彼らが理想論ばっかり語っていたから、パキスタンにカシミールの一部を持っていかれた」などと批判します。

どうして中国は言論統制をするのかという理由については中国人が一党独裁や人権侵害を肯定し「一つの中国」に拘る3つの理由という記事でご説明しているのでご参照ください。

インフラの整備状況の違い

ここはインドから民主主義の負の側面を感じられるポイントかも知れません。

日本や台湾や韓国など、アジアの多くの国では経済発展の初期は独裁体制(開発独裁)を採用し、経済が成熟すると民主的な体制へ転換します。

経済発展の初期では道路や水道電機などインフラの整備が必要で、土地収用のために時間をかけて交渉していると経済発展に時間がかかることから、経済発展初期では独裁体制の方が効率が良いとされています。

一方、経済発展を成し遂げた後も独裁体制を続けていると社会が不安定になるようです(政治学的な詳しい理論は分かりませんが)。

中国とインドはそれぞれ逆方向の両極端に振り切れています。

インドは極貧の時代から全国民で選挙をする民主制を貫いているのに対し、中国は経済発展を成し遂げた後も独裁制を貫いています。

日本人の感覚では民主制のインドの方が安心感を覚えると思いますが、実際のインドへ行くとそうとも言い切れません。

まだ数億人の貧しい人々が基本的な衣食住に事欠き、教育も行き届かず識字率が低い状況で選挙を実施して民主主義をやってもなかなか上手くいきません。

政治家の汚職が蔓延していたり、例えば「自分に投票してくれたら皆さんにお金をばら撒きます」という人気取りの政治家が当選したりと、民主主義の非効率な部分が出てしまい経済が発展しません。

そして民主的な土地収用に時間がかかる結果、水道や道路、新幹線などの整備が遅れてしまいます。

(カンボジアのポルポトのように)国民を虐待する独裁者が出てしまうと最悪なのですが、経済発展初期の段階では、政府が国を発展させるよう真剣に取り組むなら民主制よりも独裁制の方が効率が良いと言えます。

日本では中国政府は悪い面ばかりが強調されますが、これまでの経済発展で中国の飢餓や貧困状況が大幅に改善したのは事実なので、常に民主制が正しいとは言い切れないのではないかと私は考えています。

インドより中国が良いと言っているわけではないのですが、物事にはそれぞれ良い面と悪い面があります。

日本では民主国家の良い面と中国の悪い面を比較して中国を叩く傾向があるように感じるので、バランス良く判断する必要はあるのではないでしょうか。

発生する問題の違い

中国とインドでは発生する問題にも違いがあります。この違いも統制の強さの違いに由来すると思います。

インドは、仕組みの不具合(バグ)が多くてトラブルが発生することが多いです。

中国は、罰則の多い仕組みが正常に稼働して問題が発生することが多いです。

中国の問題は、日本ではテレビやインターネットで報道されている通りですが、ウィグルや香港や台湾などで色々な問題が発生しています。

欧米や日本では中国政府の行動に問題があるように報道されていますが、中国の理解では問題を起こしているのはウィグル人や香港デモ隊や台湾の民進党(およびアメリカ)であって、中国は正しいことをしていると考えています。

反スパイ法などもそうですが、欧米や日本の価値観では問題があるとされる法令を徹底的に運用するので、様々なところでペナルティが発生して問題になります。

歴史的には、文化大革命や大躍進計画など、中央政府が問題を引き起こすことで国民が大勢亡くなってしまったこともあります(文化大革命や大躍進計画の問題については中国の歴史教科書にも記載されていました)。

一方インドは、中国のように中央政府が西側諸国から「人権侵害だ」と非難される法令を発するケースはほぼありません。

インドはイギリスの植民地時代の影響を受けており、自由民主主義や基本的人権尊重の重要性は(エリート層の間では)よく認識されています。

しかしインドの問題点は、中央政府の方針が隅々まで周知徹底されていないことです。

未だに、農村部へ行けばカーストの異なる者同士で結婚しようとしたカップルを親が殺害するなどという事件があります。

2018年11年にもそのような事件がありました(Love in Hosur: Couple who wanted to build a life across caste lines are strangled, thrown into river)。

そして、農村の警察は子どもを殺害した親を真剣に取り締まりません。

もちろん、インドに「カーストの規則を破って結婚しようとしたカップルを殺害した親は殺人犯に該当しない」などという法令があるはずもなく、法律の手続きに則ればきちんと罰を受けなければなりません。

しかし、統制が取れていないので地方の警察官がそこまで法令を遵守しないのです。

インドは崇高な理想に基づいて非常に複雑で完璧主義的な法令を作成しますが、法令が複雑すぎてとても遵守できず、完全な取り締まりができません(する気もなさそうです)。

その結果どうなるのかと言うと、役所の担当者によって言うことが変わるという現象が生じます。

担当者によって覚えているルールの範囲が違うようなので、支店によって、担当によって、言っていることが変わります。警察や銀行などがそうです。

カースト差別や婦女暴行などのインドで報道される人権問題も、政府が旗を振って推進しているわけではなく、政府としては禁止したいものの統制が取れていないので取締が不徹底というのが現状ではないでしょうか。

統制が緩いので役人の汚職なども身近でよく耳にします。

高い理想は掲げられているのですが、コントロールができておらず実態が全く追いついていないのがインドの現状です。

中国も昔は汚職が蔓延していましたが、習近平政権になって「虎もハエも叩く」と言って徹底的な汚職撲滅を行い、数百万人を逮捕した結果、今の中国の公務員は以前ほど公然と賄賂を要求することはなくなりました。

インドではこのような大規模な取り締まりは難しいでしょう。

中国は中央政府が方針を示せば末端まで徹底されるのですが、その中央政府の示す方針が(欧米や日本の価値観では)問題を含んでいるのに対し、インドは中央政府の方針が末端まで徹底されないので問題が発生します。

中国とインドの相違点2:製造業の強さ

工場

中国もインドもBRICSの一員として経済成長をしていますが、内容は大きく異なります。

中国は沿海部に外資を誘致して工場を建て、内陸の農村から出稼ぎに来た労働者を低賃金で雇用することで経済成長してきました。

これは日本などと同じ成長方法で、日本も戦後に「金の卵」と呼ばれた労働者が東北などの農村から東京へ出稼ぎに来て製造業に従事し、経済成長を遂げました。

ところがインドの経済成長はかなり特殊です。

インドは1990年頃まで社会主義的な経済政策を採用し、中東へ出稼ぎした家族からの仕送りで生活する人が多い状況でしたが、湾岸戦争で経済が行き詰まり、開放へと舵を切りました。

その後コンピューター2000年問題で欧米の企業からIT関連の業務委託を受け、IT業界を中心に成長していきます。

これの何が問題かと言うと、英語とプログラミングのできる中間層以上の人達ばかりがどんどん豊かになり、文字の読めない貧困層は取り残されているのです。

中国のように製造業で経済発展する場合には、低賃金の労働者にも経済成長の恩恵がありますが、インドは製造業がとても弱いので貧困層は仕事を得る機会がありません。

またインドは停電が頻発したり道路が舗装されていなかったり、役人の汚職が蔓延していたりと、外資の製造業が進出するのは二の足を踏んでしまう状況です。

先ほども書いたように、経済成長の初期は独裁政権が効率的にインフラを整備して全国民への教育を徹底した方が効率が良いのですが、インドは民主主義を理念にしているので、中国のように国家が強権的に開発を進めるのは難しいようです。

中国とインドの相違点3:国の統一

アジアの地図

日本でもよく報道されている通り、中国は国の分裂や独立を絶対に認めません。

日本では台湾・香港・ウィグル・チベットなど色々な地域で様々な問題が発生していますが、中国の姿勢は常に一貫していて、絶対に独立は認めません。

これは共産党の意思ではなく、20世紀末の清の時代から一貫していた姿勢なので、「国の分裂を絶対に認めない」という姿勢は、たとえ中国が民主化しても変わらないと思います。

どうして中国がここまで統一を阻止するのかというと、アヘン戦争からの100年間で国が分裂し、そこに欧米や日本が侵略へやってきて大勢の人が命を落とすという歴史があったからです。

中国は「一部でも独立を認めると国全体が内戦状態になり、秩序が混乱して多くの人が命を落とす」というトラウマがあるので、絶対に独立は認めないのです。

中国が絶対に分離独立を認めない理由についてはチベットはもともと中国?独立国?チベット問題をわかりやすく説明の記事でも詳しく説明していますのでご参照ください。

一方インドは、歩んできた歴史が異なるので、中国ほど強烈に国を統制しようという意思がありません。

インドはイギリスの統治を受けて経済的には搾取されてきましたが、インドの文化は尊重され、中国のように数百万人・数千万人単位で人が殺されるという歴史はありません。

インドがイギリスから独立したあと、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が深まり、1947年8月14日にイスラム教徒の多い地域(今のパキスタンとバングラディッシュ)がパキスタンとして独立しました。

この時のインド側は「残念だけど、そこまで独立したいなら仕方ない」という反応でした。

これがもし中国であれば、(毛沢東と蒋介石のように)相手を全滅させるまで徹底的に戦って分離独立は阻止すると思います。

インドは独立後も、ガンディーやネルーの掲げる崇高な理想に基づく国家運営を実践することに心血を注いできました(現在のモディ首相は少し違いますが...)。

ガンディーは「生きていけるだけの衣食住が満たされるなら、それ以上を欲張ってはいけない。」という考え方が基本なので、インド経済は1990年頃まで閉鎖的で社会主義的な制度が敷かれ、経済発展が大幅に遅れてしまったのではないかと思います。

考え方が全く異なる2つの大国

中国とインドは13億人の人口を抱え経済成長が著しいアジアの大国という点では共通していますが、考え方は全く異なります。

中国は、19世紀後半から20世紀前半にかけて列強の侵略を受けた経緯があり、「欧米を追い越して世界の中心へ返り咲く」という意識が極めて強いです(詳しくは中国人が一党独裁や人権侵害を肯定し「一つの中国」に拘る3つの理由という記事をご参照ください)。

それに対してインドは、イギリスからは経済的に搾取されていたものの、文化の破壊や大虐殺といったことは(中国と比較すれば)発生しませんでした。

こういった歴史的経緯から、インドは中国ほど経済成長と国際的地位の上昇を焦っておらず、むしろイギリスから引き継いだ自由民主主義の精神を重んじているのではないか、というのが私の考えです。

これからも引き続きアジア2大国の変化を観察していきます。

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