インドには伝統的にカーストという身分制度がありました。カーストは生まれながらに定められていて、上下関係があり、カーストの低い人は高い人に逆らえないというイメージがあります。

実際、インドビジネス経験者の本などを読むと「違うカースト同士のインド人が一緒に働かなくて、仕事が進まずに困る・・・」などといったことも書かれていました。

インドへ来る前、私がカーストに対して漠然と抱いていたイメージは下記のようなものです。

  • 強固な差別制度で、何千年も維持されている
  • ヒンドゥー教という宗教によって差別制度が支えられている
  • カーストを否定し生命の平等を説いた仏教が一時期流行したが、衰退した

こうして並べて書くと、インドはとんでもない差別主義の国で、全く理解不能な謎の国という印象を受けます。

しかし実際にインドへ来てみると、インドにも良い人達は大勢いて「全くもって理解不能な、私たちとは違う世界の人たち」という印象は受けませんでした。

アメリカの黒人差別を始め差別の歴史というのは世界各地でありますし、貧富の差というのも世界各地で見られます。インドで発生している事象も、それらと大きく異なるわけではないのではないか?という観点から、カーストについて興味を抱くようになりました。

カーストはあまりにも複雑すぎて全貌はまだよくわからないのですが、私がチェンナイで暮らして感じたことと、インド人から聞いた話をご紹介します。

私は学者ではないので正確なところは分からないものの、在住者としての実感をお伝えできればと思います。より詳しいことが分かり次第アップデートします。

カーストの概要

まず、私がインドへ来る前に本を読んだりネットで調べたりして理解したことをご紹介します。その後で、インドに住んで分かったこと(本を読んだだけでは分からなかったこと)をご紹介します。

カーストは「ヴァルナ」と呼ばれる宗教上の4つの身分と「ジャーティー」と呼ばれる集団から構成されています。

ヴァルナ

4つのヴァルナ
  • バラモン(聖職者)
  • クシャトリア(貴族、騎士)
  • ヴァイシャ(市民)
  • シュードラ(奴隷)

バラモンが一番偉く、シュードラの身分が最も低いとされています。4つのヴァルナの下に、アンタッチャブル(不可触民)というランク外の身分があります。

この身分制度は紀元前1300年頃からあり、「リグ・ヴェーダ」という経典にも記載されているそうです。しかしこの区別は観念上のもので、長い間厳密に運用されることはなかったそうです。

Scholars believe that the Varnas system was never truly operational in society and there is no evidence of it ever being a reality in Indian history.

つまり、「Aさんはヴァイシャ」「Bさんはクシャトリア」という形で、誰がどのヴァルナに属するかが厳密に決められていたわけではないようです(バラモンだけはハッキリと決まっていたようですが)。

ジャーティ

観念的な存在だったヴァルナに対して、長い間実際のインド社会に根づいていた”ジャーティ”という仕組みがありました。

The practical division of the society had always been in terms of Jātis (birth groups), which are not based on any specific principle, but could vary from ethnic origins to occupations to geographic areas.

ジャーティには決まった原理はありませんでしたが、世襲的な職業集団で、たとえば洗濯屋のジャーティに生まれたらずっと洗濯屋に就かなければなりません(仕事を自由に選べません)。

結婚も、同じジャーティの中の人同士でしなければならず、食事も異なるジャーティの人とはできません。ジャーティは、インド全体で何千とあり、とても複雑な仕組みです。

もともとジャーティ間には漠然とした上下関係はあったものの、それは流動的で、どのジャーティが上なのかは厳密には決まっていなかったようですし、それを判断する人もいなかったようです。

従って、バラモンや不可触民など一部を除き、そこまでガチガチな身分差別制度ではなかったようです。

カーストの成立

このようにジャーティとヴァルナは異なる仕組みだったようですが、15世紀にやってきたヨーロッパ人がヴァルナとジャーティを総称して「カースト」と名づけました。

もともとジャーティーとヴァルナは紐づいていなかったのですが、イギリスの植民地時代にイギリスによって紐づけられました。 

イギリス植民地時代、国勢調査のとき、誰がどのジャーティに属し、そのジャーティがどのヴァルナに属するのかが厳密に定められ、ジャーティの上下について争いがあったときにはイギリスが間に入って仲介をしたそうです。

これによって、いわゆるイメージ通りのカースト、つまり全国民がいずれかのカーストに属して、ランキングが決められるという社会になっていきました。

つまり、カースト自体は私たちのイメージ通りのものなのですが、それは3000年以上も前から不変なのではなく、イギリス植民地時代に形成されたものでした。 

参考文献:「インド社会とカースト」藤井毅 山川出版社

カーストの現在

戦後、憲法によりカーストによる差別は禁止されたものの、インド社会にはまだまだカースト差別が根強く残っているとされています。

政府は状況を改善するため、アウトカーストを中心に差別是正の優遇策をとっています(日本の同和政策や、アメリカでの有色人種優遇のアファーマティブアクションに相当するものです)。

 政策的に保護されているカーストには

  • Scheduled Castes and Scheduled Tribes(指定カーストと指定部族)
  • Other Backward Class(その他後進カースト)

などがあります。

指定カーストの人達は公務員の就職や資格資格試験、大学入学等の様々な場面で優遇を受けられるそうです。

後進カーストの人達は圧倒的に優遇されていますが、元々の貧富の差が大きすぎるためなかなか貧困から抜け出せない人たちが少なくないようです。

アメリカのアファーマティブアクションと同じで、優遇策を行っても貧困階層に黒人が多いのと同じようなイメージかと思います。

なお、人種というのは外見で一目瞭然ですが、カースト差別というのは同じインド人同士の間で発生する問題なので、「どこからが保護すべき指定カーストなのか」ということを巡ってややこしい問題が発生するようです。

例えば、「指定カースト」に指定された方が法律上様々な優遇措置を受けられるので、自らが所属するカーストが「指定カースト」に指定されることを目指して政治活動をする人達がいます。

一方、「指定カースト」に指定されることは不名誉なことと考え、「指定カースト」に指定されるのを避けたいと考える人達もいます。同じカーストの中に両者の考えの人達がいるため意見対立が生じ、トラブルになったりするそうです。

参考文献:「カーストから現代インドを知るための30章 (エリア・スタディーズ 108)」金基淑 明石書店

インドに住んで感じるカースト

ここからは、カーストについて私がインドのチェンナイに住んで感じたこと、現地のインド人から聞いたことについて、職業選択、貧富の差、日常生活での差別、結婚、食事に分けてご紹介します。

職業選択とカースト

伝統的にインドではジャーティ毎に職業が決まっており、ジャーティ以外の職業は選択できないとされてきました。しかしインドも資本主義の国で、職業選択の自由があります。 

少なくとも都市部では明らかに、職業選択の制約がある雰囲気ではありません。私も会社でインド人の履歴書を確認したり面接をしたりしますが、民間企業ではカーストの確認などしません。

同僚のインド人に「見ただけで応募者のカーストが分かるのか?」と聞いたところ、「見た目だけでは分からない。但し、たまに名前からカーストを推測できる場合がある。」ということでした。

特定のカースト特有の苗字というものがあり、その苗字を見れば高いカーストか、低いカーストかの予測できる場合があるそうです。しかし、全ての苗字について分かるわけではなく、分かるのはごく一部だそうです。

未だに最高カーストであるバラモン(僧侶)にはバラモンのカーストしか就くことができないそうですが、バラモン以外の職業については(少なくとも都市部では)かなり流動的になっているようです。

インドで人気のある会計士(Charted Account)や司法書士(Company Secretary)などは低いカーストでも受験することが可能ですし、合格すればホワイトカラーとして働けます。ITエンジニアなども同様です。

※Company Secretaryは「会社秘書役」と訳しますが、業務内容は会社の商業登記や株主総会・取締役会の事務局なので、日本のイメージとしては秘書というより司法書士に近いと個人的には思います。但し不動産登記は担当しません。

但しガンジス河で有名なバラナシという都市へ行った時には「ボートを漕ぐカースト、洗濯をするカーストなどが明確に決まっている」とボート漕ぎの人から聞いたので、地方都市や農村では大都市とは状況が違うのかも知れません。

貧富の差とカースト

職業選択が自由ということは、大都市の貧富の差についてもカーストとはあまり関係がないのではないかと考えられます。

インドにおける貧富の差は本当に容赦がありません。かたや国際貧困ライン(1日の生活費が1.9ドル)以下で生死の境を彷徨っているような人が1億人以上いる一方、バンガロールの超優秀なITエンジニアの中には20代で年収1000万円以上稼いでいる人もいます。

道端で寝転がったりゴミ漁りをしている人たちと、ホワイトカラーのインド人との違いは歴然としています。同じインド人とは思えないほど服装や顔つき、恰幅の良さなどが全く異なり、たとえ観光で1週間だけインドへ来た日本人であっても両者の違いはすぐに見分けがつくと思います。 

そして、チェンナイでは金持ちが貧乏人を怒鳴り散らして顎でこき使っている光景にもよく出くわします。私はインドへ移住してきた当初この光景を見て、「インドはカーストがやはり根強いんだな。」と感じました。

しかし、長く住んでいるうちに「貧乏人が低カーストで、富裕層が高カーストとは限らないんじゃないか」と感じるようになりました。

例えば、インドに住み始めたとき、ヒンドゥー教の寺院の前で、上半身裸で下半身にバスタオルのようなものを巻いて座っているおじさんを見かけたことがありました。

その姿があまりにもみすぼらしく感じたので、私は当初「この人はカーストが低くて貧しいから、ホームレスとしてお寺に保護してもらっているのかな」と思いました。

しかし暫くしてから、実はこの「上半身裸で下半身にバスタオルのようなものを巻く」というスタイルは、最高カーストであるバラモン(僧侶)の格好だったことが分かりました。

 私が最低カーストのホームレスだと思っていた人は、最高カーストのバラモンだったのです。

インド人から聞くところによると、最近ではビジネスで成功してバラモンよりも金持ちな低カーストの人達が大勢出現しているそうです。

但しバラモンは貧しくてもヒンドゥー教の祭祀に関して豊富な知識があるので尊敬を受けるそうで、バラモン自身も当然のことながら大変なプライドを持っています。

日本には「武士は食わねど高楊枝」という諺がありますが、インドのバラモンも似たようなものかも知れません。

インドでは日本のような年金や生活保護等が整備されていないので、カーストが高くても事業に失敗したり障害を負ったりすると一気に貧困へ落ちます。また現在ではインターネットの発達によって個人の力でのし上がっていくが世界各地にいますが、インドも例外ではなく、カーストが低くてもビジネスで結果を出していく人は一定数いるようです。

もちろん、カーストと貧富の差にある程度の相関関係があるのだろうとは思いますが、どこまでの相関関係あるのかはよく分かりません(何か調査結果があるのかも知れませんが・・・)。

日本も戦前は恐ろしいほどの所得格差がありました。博物館明治村などにある明治時代の豪邸を見学すると、住み込みの女中が非常に狭い部屋に住まわされていることに衝撃を受けました。

明治時代の女中の部屋は、今のインドの豪邸のセキュリティ(門番)の部屋と似ています。

日本の場合は戦後の農地改革で所得格差が改善しましたが、インドには社会主義革命もなく、歴史的に所得格差が改善する機会がありませんでした。

フィリピンでもインドと同様の所得格差があります。つまり、インドの格差が激しい原因は歴史的に(革命や農地改革など)所得再分配が行われて来なかったことであって、カースト制度が原因とは言い切れないのではないかと思います。

インド社会で理不尽な現象を目の当たりにしたときに「この理不尽さはカーストが原因だ」「インド社会はカーストがあるから私たちには理解不可能だ」という趣旨の発言をする日本人に何度か会ったことがあるのですが、インド社会が抱える諸問題の原因が本当にカーストなのかどうかは少し慎重に考えた方が良いのではないかと思います。

実はインドで起こっている現象は世界各国の他の国で起こっている現象と大して変わりがない・・・という可能性も否定できないのではないかと思います。

インドの貧富の差は、カーストというよりも社会保険や年金制度、生活保護制度の不備によるところが大きいのではないかと思います(今のインドで生活保護制度の実現など到底不可能ですが)。

日常生活での差別とカースト

 農村部へ行くと、特定の低いカーストは村の中へ入ってはいけない、身分によって使える井戸が異なる、といった差別はまだまだ根強いようです。

私は直接見たことはないのですが、インド人の同僚から「私の出身の村ではそういう慣習が残っている」といった話を聞くことはあります。

インドの中でも南部、特に私の住んでいるタミルナドゥ州ではカーストの影響が強いようです(私の住んでいるチェンナイという都市自体は大都市なので、上述の通りカーストの影響はないようですが)。

以前は職場などでも低いカーストの人達に対して露骨な差別があったようなのですが、1989年に”SC ST Act”(指定カースト、指定部族法)という法律が成立し、差別に繋がる行為が厳しく処罰されるようになってからだいぶ状況は変わったそうです。

この法律は、指定カースト・指定部族(以下、「SCSTと言います」)に対する差別行為を禁止していますが、訴えられると自動的に逮捕されてしまうという運用をされていました。

インド人の知人曰く、この法律ができてから、逮捕されるのを恐れてSCSTに対する日常的なカースト差別がだいぶ収まったそうです。しかしカーストの高い人から見ると、SCSTの人たちがやりたい放題になる恐ろしい法律であると受け取られ、かなり物議を醸しています。SCSTの人達がこの法律を盾に逆にありもしない差別を捏造する事例も出てきたそうです。

The Supreme Court on Tuesday refused to keep in abeyance its earlier order preventing automatic arrests on complaints filed under the Scheduled Castes and the Scheduled Tribes (Prevention of Atrocities) Act, 1989.

上記サイトによると、2018320日に最高裁で、「自動逮捕を禁止する命令の停止状態を拒否する」という判決が出たそうです。ややこしいですが、要するに「自動逮捕はダメだ」という、SCST側に不利な判決が出ました。これをSCST側から見ると、

「先行保釈禁止」の規定は、被害者を支配カースト層の脅しから守り、残虐行為を未然に防ぐために法律のルールに加えられた。今回の最高裁の命令は加害者が簡単に先行保釈を得ることを可能にする。そのため、事件の加害者が被害者を脅して譲歩を迫ったり、反撃をかけてくる可能性が高まる。

ということになり、反発を呼んでいます。このように、インド全土でみるとカーストに起因する差別問題はまだまだ根強く残っています。

結婚とカースト

カーストの影響が薄くなっている職業選択とは正反対に、結婚についてはカースト制の影響が強く残っています。特に私が住んでいるタミルナドゥ州は極めて厳格で、カーストを無視した結婚をした男女が親に殺害される事件が時々発生します。

Love in Hosur: Couple who wanted to build a life across caste lines are strangled, thrown into river

上記は20181122日のニュースです。法律上は結婚の自由が認められていて、カーストを超えた結婚は何も問題がなく、子どもを殺害した親は刑を受けなければならないのですが、実際には農村の警察は何も動かず親が裁かれることもないそうです。

結婚については、周囲のインド人の話を聞いていても全く自由がないと感じます。基本的にはカースト制度で許された範囲において(占星術などを基に)親が相手を選び、子どもの方で問題がなければ結婚するという流れのようです。

少数派の宗教については、キリスト教徒はキリスト教徒と、ジャイナ教徒はジャイナ教徒と・・・という形で、同じ宗教の人同士で結婚します。

外国人と結婚するインド人もいますが、ヒンドゥーの中でも親が海外滞在経験がある、あるいは無神論者であるなど、インド社会の中ではかなり異端に属する人たちのようです。

食事とカースト

もともと異なるカーストの人たちと食事をすることは避けられていたそうですが、大都市では様々なカースト出身の人たちが一緒に働いており、インドでも歓送迎会や懇親会は日本の飲み会と同じくらい熱心に行われるので、異なるカーストの人と食事をしないなどとは言っていられません。

ひょっとしたら高いカーストの人達は内心では嫌がっている人もいるのかも知れませんが、今のところそれを表に出して不満を言っているインド人には会ったことがありません(そもそも大都会では誰がどのカーストかも分からないと聞いているので、恐らくそんな不満はないと思いますが)。

バラナシのチャイ陶器

インドではよく「露店のチャイ(インドのお茶)は使い捨ての陶器(湯飲み)に入れて出され、飲み終わると陶器は地面に叩き割る」という話を聞きます。何故そうするかと言うと、「どのカーストの人が飲んだか分からないような陶器でチャイを飲めない」ということのようです。

実際には、チェンナイで道端に陶器を叩き割っている人は見たことがなく、今のところ露店でチャイを頼むとガラスのコップに入れて出されます。このあたりでも、だいぶ緩和されているのではないでしょうか?

バラナシの使い捨て陶器ゴミ

ところが、ガンジス河の沐浴で有名なヒンドゥー教の聖地バラナシへ行ったときは写真のような使い捨ての陶器をたくさん見ました。

農村部へ行くとまだまだ「違うカーストの人とは食事しない」「低いカーストの人は村に入れない」という頑固な人たちがいるそうです。私は会ったことがなく、チェンナイにいるインド人から話で聞いただけですが・・・

おすすめの記事