カーストの見分け方と差別【インドに3年住んで感じた実態】

「カースト」ってインドの差別制度?名前は聞いたことあるけど、実際のところどうなの?

私はインドへ来る前、カーストに対して漠然と以下のようなイメージを抱いていました。

  • 強固な差別制度で、何千年も維持されている
  • ヒンドゥー教という宗教によって差別制度が支えられている
  • カーストを否定し生命の平等を説いた仏教が一時期流行したが、衰退した

こうして並べて書くと、インドはとんでもない差別主義の国で、全く理解不能な謎の国という印象を受けます。

インドビジネス経験者の本などを読むと「違うカースト同士のインド人が一緒に働かなくて、仕事が進まずに困る・・・」などといったことも書かれていました。

しかし実際にインドへ来てみると、インドにも良い人達は大勢いて「全くもって理解不能な、私たちとは違う世界の人たち」という印象は受けませんでした。

アメリカの黒人差別を始め差別の歴史は世界各地でありますし、貧富の差も世界各地で見られます。インドで発生している事象も、実はそれらと大きく異なるわけではないのではないか?という観点から、カーストについて興味を抱くようになりました。

カーストはあまりにも複雑すぎて全貌はまだよくわからないのですが、私がチェンナイで暮らして感じたことと、インド人から聞いた話をご紹介します。

私は学者ではないので正確なところは分からないものの、在住者としての実感をお伝えできればと思います。より詳しいことが分かり次第アップデートします。

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カーストの概要

カースト4

この項目ではまず、私が本やネットで学んだ知識をご紹介します。

既に知識のある方は読み飛ばして次の項目へ進んでください。

カーストは「ヴァルナ」と呼ばれる宗教上の4つの身分と「ジャーティー」と呼ばれる集団から構成されています。

ヴァルナ

 

4つのヴァルナ
  • バラモン(聖職者)
  • クシャトリア(貴族、騎士)
  • ヴァイシャ(市民)
  • シュードラ(奴隷)

バラモンが一番偉く、シュードラの身分が最も低いとされています。4つのヴァルナの下に、アンタッチャブル(不可触民)というランク外の身分があります。

この身分制度は紀元前1300年頃からあり、「リグ・ヴェーダ」という経典にも記載されているそうです。しかしこの区別は観念上のもので、長い間厳密に運用されることはなかったそうです。

Scholars believe that the Varnas system was never truly operational in society and there is no evidence of it ever being a reality in Indian history.

以下、私の訳です。

学者達は、ヴァルナの仕組みが社会で実際に運用されたことはなく、インドの歴史で実在したという証拠はないと信じています。

つまり、「Aさんはヴァイシャ」「Bさんはクシャトリア」という形で、誰がどのヴァルナに属するかが厳密に決められていたわけではないようです(バラモンだけはハッキリと決まっていたようですが)。

ジャーティ

観念的な存在だったヴァルナに対して、長い間実際のインド社会に根づいていた”ジャーティ”という仕組みがありました。

The practical division of the society had always been in terms of Jātis (birth groups), which are not based on any specific principle, but could vary from ethnic origins to occupations to geographic areas.

以下、私の訳です。

実際には、常に「ジャーティ(生まれた集団)」という観点で社会が分断されてきました。ジャーティは特定の原理に基づくものではなく、民族的な起源や職業、地理的な地域により変化するものでした。

ジャーティには決まった原理はありませんでしたが、世襲的な職業集団で、たとえば洗濯屋のジャーティに生まれたらずっと洗濯屋に就かなければなりません(仕事を自由に選べません)。

結婚も、同じジャーティの中の人同士でしなければならず、食事も異なるジャーティの人とはできません。ジャーティは、インド全体で何千とあり、とても複雑な仕組みです。

もともとジャーティ間には漠然とした上下関係はあったものの、それは流動的で、どのジャーティが上なのかというルールは厳密には決まっていなかったようです。

ジャーティが、なんらかの基準にもとづき序列化され、階層をなしていることは、インド社会の普遍的現象とみなされている。しかしながら、その現象が、いかなる原理や基準に基づいているのかについては、合意を見ることがない。

藤井毅「インド社会とカースト」P38-39

従って、バラモンや不可触民など一部を除き、そこまでガチガチな身分差別制度ではなかったようです。

カーストの成立

このようにジャーティとヴァルナは異なる仕組みだったようですが、15世紀にやってきたヨーロッパ人がヴァルナとジャーティを総称して「カースト」と名づけました。

もともとジャーティーとヴァルナの関係は曖昧だったのですが、イギリスの植民地時代にイギリスによって紐づけられました。 

イギリス植民地時代、誰がどのジャーティに属し、そのジャーティがどのヴァルナに属するのかが厳密に定められ、ジャーティの上下について争いがあったときにはイギリスが間に入って仲介をしたそうです。

ジャーティの序列化には、いまだ発見されていない隠された原理が作用していたのだろうか。それにたいするもっとも妥当な回答は、序列化は普遍現象としてどこでも起こりうるものだが、インドが植民地化する以前においては在地の王権が、植民地支配成立後は、イギリス・インド政府が、その調停役をはたしていたというものである。とくに、植民地期においては、国勢調査報告書や地誌は、ジャーティの序列にしばしば言及し、司法廷は、序列の証明となる慣行を登録し、裁可を与えていたのである。

藤井毅「インド社会とカースト」P40

つまり、ジャーティ間の上下関係を全国レベルで決めていたのはインド人ではなくイギリス人だったと言えそうです。

イギリスの統治によって、いわゆるイメージ通りのカースト、つまり全国民がいずれかのカーストに属して、ランキングが決められるという社会になっていったようです。

つまり、カースト自体は私たちのイメージ通りですが、3000年以上も不変だった制度というわけではありませんでした。 

インドの不可分の属性とされてしまっているカーストも、決して固定的なものでも、永遠不変なものでもなかった。(中略)カーストをインド古代より連綿と続いてきたものとして単純に捉えてはいけない。カーストが、大航海時代の始まり以降に成立した概念であることを示し、そこに、なにが包摂されるようになったのかを説明する必要がある。

藤井毅「インド社会とカースト」P84

カーストの現在

戦後、憲法によりカーストによる差別は禁止されたものの、インド社会にはまだまだカースト差別が根強く残っているとされています。

政府は状況を改善するため、アウトカーストを中心に差別是正の優遇策をとっています(日本の同和政策や、アメリカでの有色人種優遇のアファーマティブアクションに相当するものです)。

 政策的に保護されているカーストには

  • Scheduled Castes and Scheduled Tribes(指定カーストと指定部族)
  • Other Backward Class(その他後進カースト)

などがあります。

指定カーストの人達は公務員の就職や資格資格試験、大学入学等の様々な場面で優遇を受けられるそうです。

後進カーストの人達は圧倒的に優遇されていますが、元々の貧富の差が大きすぎるためなかなか貧困から抜け出せない人たちが少なくないようです。

アメリカのアファーマティブアクションと同じで、優遇策を行っても貧困階層に黒人が多いのと同じようなイメージかと思います。

なお、人種というのは外見で一目瞭然ですが、カースト差別というのは同じインド人同士の間で発生する問題なので、「どこからが保護すべき指定カーストなのか」ということを巡ってややこしい問題が発生するようです。

例えば、「指定カースト」に指定された方が法律上様々な優遇措置を受けられるので、自らが所属するカーストが「指定カースト」に指定されることを目指して政治活動をする人達がいます。

一方、「指定カースト」に指定されることは不名誉なことと考え、「指定カースト」に指定されるのを避けたいと考える人達もいます。

同じカーストの中に両者の考えの人達がいるため意見対立が生じ、トラブルになったりするそうです。

参考文献:「カーストから現代インドを知るための30 (エリア・スタディーズ 108)」金基淑 明石書店


インドに住んで感じるカースト

チェンナイのヒンドゥー寺院

ここからは、カーストについて私がインドのチェンナイに住んで感じたこと、現地のインド人から聞いたことについて、職業選択、貧富の差、日常生活での差別、結婚、食事に分けてご紹介します。

職業選択とカースト

カースト2

伝統的にインドではジャーティ毎に職業が決まっており、ジャーティ以外の職業は選択できないとされてきました。しかしインドも資本主義の国で、職業選択の自由があります。 

少なくとも都市部では明らかに、職業選択の制約があるようには見えません。私も会社でインド人スタッフと一緒に履歴書の確認や面接しますが、民間企業ではカーストの確認などしません。

同僚のインド人に「見ただけで応募者のカーストが分かるのか?」と聞いたところ、「見た目では分からないが、たまに名前からカーストを推測できる場合がある。」ということでした。

特定のカースト特有の苗字があり、その苗字を見れば高いカーストか、低いカーストかの予測できる場合があるそうです。しかし、分かるのはごく一部だそうです。

未だに最高カーストであるバラモン(僧侶)にはバラモンのカーストしか就くことができないそうですが、バラモン以外の職業については(少なくとも都市部では)かなり流動的になっているようです。

インドで人気のある会計士(Charted Account)や司法書士(Company Secretary)などは低いカーストでも受験することが可能ですし、合格すればホワイトカラーとして働けます。ITエンジニアなども同様です。

とはいえ、ガンジス河で有名なバラナシへ行った時には「ボートを漕ぐカースト、洗濯をするカーストなどが明確に決まっている」とボート漕ぎの人から聞いたので、地方都市や農村では大都市とは状況が違うのかも知れません。

但し、何かのきっかけでカーストが分かることはあります。

そのとき、不可触民であることが分かってしまうと、かなり酷い苛めが発生してしまうことは未だに多いようです。

私の勝手な印象ですが、今のインドは明治時代の日本と似ているのかもしれません。

明治時代には四民平等となり、農民が工人を馬鹿にするようなことはなかったと思いますが、非差別部落の人たちへの差別は根強く残りました。

インドも、上のカーストは流動的になっていても、不可触民については別格という印象があります。

インドの税制から感じたカーストの感覚
インドで働くなかで、インドの税金制度で「これはカーストの感覚の名残かな?」と違和感を覚えたことがあったのでご紹介します。
インドにはTDS(Tax Deducted at Source:源泉税)という税制度があります。
源泉税率はサービス内容によって異なり、たとえば仲介手数料は5%、家賃は10%などと具体的に決まっています。その中で
プロフェッショナルサービス:10%(所得税法194J条)
業務委託:2%(所得税法194C条)
という違いがありました。この違いが理解できなかったのでインド人に聞いてみました。

プロフェッショナルサービスと業務委託の違いは何ですか?

プロフェッショナルサービスは専門的な知識や経験が必要な仕事で、業務委託は誰でもできる仕事です。

「専門的な仕事」と「誰でもできる仕事」の違いは何ですか?

 

それは説明するまでもなく明らかですよ。プロフェッショナルサービスはコンサルタントなどの仕事で、一般的な仕事とはドライバーや家事代行などですよ。

プロフェッショナルな技術を活かしたドライバーや家事代行の場合はどうなるんですか?

 

プロフェッショナルなドライバーや家事代行???何を言ってるんですか???
もし日本でこのような区別をすると「職業差別だ!」「プロフェッショナルと業務委託の定義を明確にしろ!」と怒られますね。
しかしインド人5名ほどに上記の質問をしたところ、異口同音に「なぜそれを問題だと感じるのかが理解できない。プロフェッショナルよりも業務委託の方が税率が安いんだから、いいではないか」という反応でした。
たしかにインドに住むと、家事代行やドライバーとコンサルタントでは住んでいる世界が違い、絶対に越えられない壁があるという雰囲気はすぐに分かりますし、「家事代行のような底辺の仕事をホワイトカラーの仕事と一緒に扱うなど頭がおかしい」という感覚になるのも分かります。
インドでは「職業に貴賎なし」など夢のまた夢の世界ですが、このような細かい税制度などにインド人の感覚が現れている気がします。

貧富の差とカースト

インドの貧困層

職業選択が自由ということは、大都市の貧富の差についてもカーストとはあまり関係がないのではないかと考えられます。

インドにおける貧富の差は本当に容赦がありません。かたや国際貧困ライン(1日の生活費が1.9ドル)以下で生死の境を彷徨っているような人が1億人以上いる一方、バンガロールの超優秀なITエンジニアの中には20代で年収1000万円以上稼いでいる人もいます。

道端で寝転がったりゴミ漁りをしている人たちと、ホワイトカラーのインド人との違いは歴然としています。同じインド人とは思えないほど服装や顔つき、恰幅の良さなどが全く異なり、たとえ観光で1週間だけインドへ来た日本人であっても両者の違いはすぐに見分けがつくと思います。 

そして、チェンナイでは金持ちが貧乏人を怒鳴り散らして顎でこき使っている光景にもよく出くわします。私はインドへ移住してきた当初この光景を見て、「インドはカーストがやはり根強いんだな。」と感じました。

しかし、長く住んでいるうちに「貧乏人が低カーストで、富裕層が高カーストとは限らないんじゃないか」と感じるようになりました。

例えば、インドに住み始めたとき、ヒンドゥー教の寺院の前で、上半身裸で下半身にバスタオルのようなものを巻いて座っているおじさんを見かけたことがありました。

その姿があまりにもみすぼらしく感じたので、私は当初「この人はカーストが低くて貧しいから、ホームレスとしてお寺に保護してもらっているのかな」と思いました。

しかし暫くしてから、実はこの「上半身裸で下半身にバスタオルのようなものを巻く」というスタイルは、最高カーストであるバラモン(僧侶)の格好だったことが分かりました。

 私が最低カーストのホームレスだと思っていた人は、最高カーストのバラモンだったのです。

インド人から聞くところによると、最近ではビジネスで成功してバラモンよりも金持ちな低カーストの人達が大勢出現しているそうです。

但しバラモンは貧しくてもヒンドゥー教の祭祀に関して豊富な知識があるので尊敬を受けるそうで、バラモン自身も当然のことながら大変なプライドを持っています。

日本には「武士は食わねど高楊枝」という諺がありますが、インドのバラモンも似たようなものかも知れません。

聞いてもいないのに「私はバラモンです」と、外国人の私に対して謎のマウンティングをしてきた感じの悪い人とも何人も出会いました(バラモンが全員性悪だと言っているのではありません)。

皆さんも、もしインドのヒンドゥー寺院を観光したら「私はバラモンです。バラモンの私が案内してあげましょう」などと声をかけられることがあるかも知れません。

インドでは日本のような年金や生活保護等が整備されていないので、カーストが高くても事業に失敗したり障害を負ったりすると一気に貧困へ落ちます。また現在ではインターネットの発達によって個人の力でのし上がっていくが世界各地にいますが、インドも例外ではなく、カーストが低くてもビジネスで結果を出していく人は一定数いるようです。

もちろん、カーストと貧富の差にある程度の相関関係があるのだろうとは思いますが、どこまでの相関関係あるのかはよく分かりません(何か調査結果があるのかも知れませんが・・・)。

日本も戦前は恐ろしいほどの所得格差がありました。博物館明治村などにある明治時代の豪邸を見学すると、住み込みの女中が非常に狭い部屋に住まわされていることに衝撃を受けました。

明治時代の女中の部屋は、今のインドの豪邸のセキュリティ(門番)の部屋と似ています。

日本の場合は戦後の農地改革で所得格差が改善しましたが、インドには社会主義革命もなく、歴史的に所得格差が改善する機会がありませんでした。

フィリピンでもインドと同様の所得格差があります。つまり、インドの格差が激しい原因は歴史的に(革命や農地改革など)所得再分配が行われて来なかったことであって、カースト制度が原因とは言い切れないのではないかと思います。

インド社会で理不尽な現象を目の当たりにしたときに「この理不尽さはカーストが原因だ」「インド社会はカーストがあるから私たちには理解不可能だ」という趣旨の発言をする日本人に何度か会ったことがあるのですが、インド社会が抱える諸問題の原因が本当にカーストなのかどうかは少し慎重に考えた方が良いのではないかと思います。

実はインドで起こっている現象は世界各国の他の国で起こっている現象と大して変わりがない・・・という可能性も否定できないのではないかと思います。

インドの貧富の差は、カーストというよりも社会保険や年金制度、生活保護制度の不備によるところが大きいのではないかと思います(今のインドで生活保護制度の実現など到底不可能ですが)。

インドの貧困層・低所得層の生活については インドに1年住んで感じたインド貧困層の生活実態をご参照ください。

日常生活での差別とカースト

カースト3

 農村部へ行くと、特定の低いカーストは村の中へ入ってはいけない、身分によって使える井戸が異なる、といった差別はまだまだ根強いようです。

私は直接見たことはないのですが、インド人の同僚から「私の出身の村ではそういう慣習が残っている」といった話を聞くことはあります。

インドの中でも南部、特に私の住んでいるタミルナドゥ州ではカーストの影響が強いようです(私の住んでいるチェンナイという都市自体は大都市なので、上述の通りカーストの影響はないようですが)。

以前は職場などでも低いカーストの人達に対して露骨な差別があったようなのですが、1989年に”SC ST Act”(指定カースト、指定部族法)という法律が成立し、差別に繋がる行為が厳しく処罰されるようになってからだいぶ状況は変わったそうです。

この法律は、指定カースト・指定部族(以下、「SCSTと言います」)に対する差別行為を禁止していますが、訴えられると自動的に逮捕されてしまうという運用をされていました。

インド人の知人曰く、この法律ができてから、逮捕されるのを恐れてSCSTに対する日常的なカースト差別がだいぶ収まったそうです。しかしカーストの高い人から見ると、SCSTの人たちがやりたい放題になる恐ろしい法律であると受け取られ、かなり物議を醸しています。SCSTの人達がこの法律を盾に逆にありもしない差別を捏造する事例も出てきたそうです。

The Supreme Court on Tuesday refused to keep in abeyance its earlier order preventing automatic arrests on complaints filed under the Scheduled Castes and the Scheduled Tribes (Prevention of Atrocities) Act, 1989.

上記サイトによると、2018320日に最高裁で、「自動逮捕を禁止する命令の停止状態を拒否する」という判決が出たそうです。ややこしいですが、要するに「自動逮捕はダメだ」という、SCST側に不利な判決が出ました。これをSCST側から見ると、

「先行保釈禁止」の規定は、被害者を支配カースト層の脅しから守り、残虐行為を未然に防ぐために法律のルールに加えられた。今回の最高裁の命令は加害者が簡単に先行保釈を得ることを可能にする。そのため、事件の加害者が被害者を脅して譲歩を迫ったり、反撃をかけてくる可能性が高まる。

ということになり、反発を呼んでいます。このように、インド全土でみるとカーストに起因する差別問題はまだまだ根強く残っています。

結婚とカースト

インド結婚

カーストの影響が薄くなっている職業選択とは正反対に、結婚についてはカースト制の影響が強く残っています。特に私が住んでいるタミルナドゥ州は極めて厳格で、カーストを無視した結婚をした男女が親に殺害される事件が時々発生します。

Love in Hosur: Couple who wanted to build a life across caste lines are strangled, thrown into river

上記は20181122日のニュースです。法律上は結婚の自由が認められていて、カーストを超えた結婚は何も問題がなく、子どもを殺害した親は刑を受けなければならないのですが、実際には農村の警察は何も動かず親が裁かれることもないそうです。

結婚については、周囲のインド人の話を聞いていても全く自由がないと感じます。基本的にはカースト制度で許された範囲において(占星術などを基に)親が相手を選び、子どもの方で問題がなければ結婚するという流れのようです。

少数派の宗教については、キリスト教徒はキリスト教徒と、ジャイナ教徒はジャイナ教徒と・・・という形で、同じ宗教の人同士で結婚します。

但し州によって温度差があるようで、私の住んでいるタミルナドゥ州はかなり厳格にカーストが維持されていますが、バンガロールで働く日本人に聞いたところ、職場の同僚のうち半分がお見合い、半分が自由恋愛ということでした。

最近はインドでも婚活アプリ、マッチングアプリなども出てきていますので、デリー、ムンバイ、バンガロールなどの大都市を中心に少しずつ変化してきているかも知れません。

インドでマッチングアプリを駆使し、素晴らしいインド人男性と出会った日本人女性の方もいます(その方のブログ:炭水化物子のありふれた世界)。

日本人を始めとする外国人と結婚するインド人もいますが、まだまだ少数派のようです。

外国人との結婚を許す家庭は、海外滞在歴があるなどインドの中ではかなりオープンな家庭ではないかと思います。

私の周囲やTwitterアカウントを見ていると、インド人男性と日本人女性で結婚するカップルはまだ見かけますが、日本人男性とインド人女性が結婚するパターンはまだ聞いたことがありません。

【2020年3月追記】

Twitterでインド人女性と結婚する日本人男性の方を見かけました↓

日本のように生活保護があるわけでもなく、政府が信用できないため貧困になれば死を待つだけというインドでは、親族同士のセーフティネットが極めて重要な役割を果たします。

親族の中に変な人が入ってきて一族の財産を持っていかれないように細心の注意を払い、一族で結婚相手を見定めています。

食事とカースト

インド食事

もともと異なるカーストの人たちと食事をすることは避けられていたそうですが、大都市では様々なカースト出身の人たちが一緒に働いており、インドでも歓送迎会や懇親会は日本の飲み会と同じくらい熱心に行われるので、異なるカーストの人と食事をしないなどとは言っていられません。

ひょっとしたら高いカーストの人達は内心では嫌がっている人もいるのかも知れませんが、今のところそれを表に出して不満を言っているインド人には会ったことがありません(そもそも大都会では誰がどのカーストかも分からないと聞いているので、恐らくそんな不満はないと思いますが)。

バラナシのチャイ陶器

インドではよく「露店のチャイ(インドのお茶)は使い捨ての陶器(湯飲み)に入れて出され、飲み終わると陶器は地面に叩き割る」という話を聞きます。何故そうするかと言うと、「どのカーストの人が飲んだか分からないような陶器でチャイを飲めない」ということのようです。

実際には、チェンナイで道端に陶器を叩き割っている人は見たことがなく、今のところ露店でチャイを頼むとガラスのコップに入れて出されます。このあたりでも、だいぶ緩和されているのではないでしょうか?

バラナシの使い捨て陶器ゴミ

ところが、ガンジス河の沐浴で有名なヒンドゥー教の聖地バラナシへ行ったときは写真のような使い捨ての陶器をたくさん見ました。

農村部へ行くとまだまだ「違うカーストの人とは食事しない」「低いカーストの人は村に入れない」という頑固な人たちがいるそうです。私は会ったことがなく、チェンナイにいるインド人から話で聞いただけですが・・・

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指定カースト優遇策(Reservation)の実態

インド運動

インドでは、指定カーストの保護政策が行われています。Reservationと呼ばれ、指定カーストの人は優先的に政府組織へ就職したり学校へ入学することができます。

アメリカでもアファーマティブアクションという有色人種優遇政策がありますが、それと同じような政策です。

日本でも同和政策などがあるものの、東京出身の私は身近で同和問題などを感じる機会はなく、差別是正策は学校で習っただけで身近な問題としては考えてきませんでした。

日本にいたときは、漠然と「差別されてきた低カーストは優遇されて当然だろう」と思っていましたが、インドへ来て問題の根深さを痛感させられました。

私は初めてインドへ来たとき、私に犯罪歴がないことを証明する書類を警察署へ取りに行ったのですが、6時間ほど待たされる日が1週間も続きました。

日本では考えられないことなので、正直なところ「なんでこんなに効率が悪くてバカばっかりなんだ」とイライラしました。このときの詳しい経緯はインド生活で最もヤバかった体験 ~インド警察との闘い~をご参照ください。

インドへ来たばっかりだったので、「インドってこんなもんかな」と思っていたのですが、その後1年ほど過ごしたところ、インド人がみんなここまで酷いわけではないことに気がつきました。

役所や銀行などの大組織は本当に毎回イライラすることが多いのですが、仕事で接するインド人や、例えば歯医者の受付なども非常に合理的で役所ほどイライラすることはありません。

「どうして役所だけここまで酷いんだ?!」と憤っていたところ、あるインド人の友人から以下のような話を聞きました。

これがReservationだよ。カースト差別是正と言って、教育のない低カーストの人ばかりを役所に採用する。そしてReservationで採用された人は何があっても解雇されない。だからインドの役人は市民のために働くなんて意識は全く持ってないんだ

一度低カーストの人が役所に採用されると、縁故で親戚なども採用されることがあるようです。

一般のインド人が100点を取って、指定カースト出身者が20点を取っても、指定カースト出身者が役所に採用される。インドの役所はReservationで採用された者だらけだ。こんな効率の悪いことをやっていたら国が発展するわけがない。

 

インドは途上国にも拘わらず民主主義が徹底しています。一見良いことのように思えますが、政治家は市民の利益よりも自分の選挙対策を優先してしまいますし、自分の票田に有利な政策を行います。

日本にいたときは「低カースト差別是正策は素晴らしい」と思ってきましたが、(言葉は悪いですが)あまりにも効率悪くダラダラと仕事をする人たちが法律で保護され、それによって自分も被害を受ける・・・という経験をすると、「本当にこれで良いのか」と考えさせられます。

例えば皆さんがインド旅行中にパスポートを紛失すると、日本大使館で再発行を受けるために警察の証明が必要になります。しかし、「警察署長のスケジュールが分からないからサインをもらえず、発行できない」と言って何週間も日本へ帰れなかったら困りますよね?

どうしてインターネットで署長のスケジュールを管理できる程度の人材を採用しないんだ!?と憤るのではないでしょうか?

インドで教養のある人たちは、長年そういった苦痛を経験をしているため、指定カースト優遇策に対する憤りを抱えている人は少なくありません。

しかし一方で、指定カースト優遇策を撤廃してしまうと格差が拡大する一方である可能性もあるため、非常に難しい問題と言えます。

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コメント一覧
  1. 気になっていた現代インドにおけるカースト制度の実情について、現地の方のお話も踏まえた記事でとても面白かったです!結婚についてはまだまだ制約が多そうですね。若者向けインドミュージックは自由恋愛の雰囲気が漂うものが多いですが、若者たちはどんな気持ちで聴いているのか気になります…。

    • いちくにさん
      コメントありがとうございます。
      確かに、インド映画の自由恋愛の雰囲気について、インド人がどう感じているのかは気になりますね。
      機会を見つけてインド人のコメントを聞き出せたらご報告します。

  2. 「イギリスの植民地支配にせいでカーストの上下関係が形成された」というのは所謂ヒンドゥー原理主義の人達が一方的に唱えている説であり、学術的な根拠に基づくものではないんですね。カースト差別における最たるものである不可触民に対する人を人とも思わない差別は明らかに中世以前から行われている記録があるので正当化は難しいかと。イギリスはむしろアンタッチャブルの人達への教育を勧めてなんとか生活水準を引き揚げようとしていましたし。悪い面をイギリスのせいにしてまでもカーストを美化し存続を図りたいという執念なんでしょうけど、そこまでしてカーストに拘る意味が本当に分かりませんよね。まあそれが宗教ってものなんでしょうか。

    • コメントありがとうございます。
      記事本文でも書かせて頂きましたが、バラモンの優越性と不可触民への差別は植民地時代に形成されたものではなく、近代以前から厳格にあったものと理解しています。
      従って、「不可触民への差別が植民地時代以後に形成された」と言っているのだとすれば、それは自分の都合の良いように歴史を解釈しているのではないかと思います。

      私は専門家ではなく一次文献を読んでいるわけではないので、参考文献として挙げさせて頂いた本から学んだ範囲で書いていたのですが、バラモンと不可触民を除いてジャーティの上下関係については比較的流動的だった・・・ということについては挙げさせて頂いた複数の参考文献に共通して記載されていたので、記事で書かせて頂きました。

  3. インドでインド人の父と日本人の母の間に生まれた子はアウトカースト=カースト外の存在だから、大都市在住で進学・就職は出来ても結婚ではハンディがあると言う事ですか?
    私の友人のインド人IT技術者達は、
    インドに外国人や混血との結婚を喜ぶ親はいないと言うのですが…

    • コメントありがとうございます。
      私の周りにもインド人と結婚している日本人が5名ほどおります(いずれも日本人女性とインド人男性の夫婦で、逆のケースは知りません)。

      その方たちの話を聞くと、子どもを海外留学させるようなオープンな家庭では外国人との結婚を歓迎するケースも増えているとのことです(しかし、まだまだ珍しいケースです)。

      たしかに、その子どもがインド国内で結婚相手を探す場合には確かに少し苦労するのかも知れませんが、そのようなケースをまだ聞いたことがないので、確かなことは申し上げられません。

      より私の知識が深まったら情報をアップデートいたします。

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