20192月頃、インドとパキスタンがカシミールを巡ってお互いに相手の実効支配領域へ空爆を行い、緊張が高まりました。

いま私が住んでいるチェンナイからは2000km以上も遠く離れていますが、いま自分が住んでいる国の中で武力衝突が起こっているというのは非常に複雑な気持ちです。

この機会に、周囲のインド人に対してパキスタンについて率直にどう思っているのかを聞いてみました。

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インドとパキスタンの関係の概要

インドとパキスタンの仲が悪いという話は以前から聞いたことがありましたが、どこの国であれ隣国同士は仲が悪いものです。しかし実際にインドへ来てから、インドとパキスタンの仲の悪さは想像を超えていました。

インドとパキスタンの仲の悪さを感じた例
  • インドのビザ申請時に「インドへ入国するときの祖父母に、パキスタン国籍の人がいますか?もしくは、パキスタン領にいたことがありますか?」という質問項目がある。
  • パキスタンへの入国履歴があると、インドの入国審査が非常に厳しくなる

インドでは父母の国籍については国を問わず申告しなければならないのですが、祖父母についてはパキスタンの場合のみ申告するようになっています。

また私はパキスタンへ入国したことがあるわけではないのですが、パキスタンへ入国した人のブログなどを読むと、パキスタンの入出国スタンプがあるとインド入国時に30分以上質問攻めにあうなど非常に面倒なことが発生することがあるようです。

この記事では、まずインドとパキスタンとの関係について整理してご紹介します。高校で習う程度の話のため、ご存知の方は前半は読み飛ばして頂いて、記事後半の「パキスタンとの関係に関するインド人への5つの質問」の箇所のみご覧ください。

インドとパキスタンの地図

上の地図で黄色がパキスタン、緑がインド、青がバングラディッシュです。この3つの国は、イギリスに植民地統治されていた1947年までは1つの国(イギリス領インド帝国)であり、まとめて「インド」と呼ばれていました。

もともと、パキスタンとバングラディッシュの地域にはイスラム教徒が、インドの地域にはヒンドゥー教徒が多く住んでいました。様々な経緯からイスラム教徒とヒンドゥー教徒の仲が悪かったため、イギリスからの独立時に同じ国になることができず、イスラム教徒の地域とヒンドゥー教徒の地域に分かれて独立しました。

1947年8月14日に、上の地図で黄色と青のイスラム教徒が多いエリアがパキスタン・イスラム共和国として独立し、翌日に緑のエリアがインド共和国として独立しました。

イギリスからの独立後、インドとパキスタンは2つの理由で3回戦争をしています。

  • 理由1:カシミール紛争

独立時、カシミール地方というエリアをインドにするのかパキスタンにするのかを巡り、インドとパキスタンは戦争になりました。カシミール紛争は未だに解決していません。カシミール紛争については後述します。

  • 理由2:バングラディッシュの独立

イギリスからの独立時には青いエリアはパキスタンの飛び地で「東パキスタン」と呼ばれていましたが、この地域の人々は西パキスタン(黄色いエリア)への反発を強め、1971年にバングラディッシュ人民共和国としてパキスタンから独立しました。

この独立戦争の時、インドはバングラディッシュの味方をしてパキスタンと戦ったため、バングラディッシュとインドとの関係は良好なようです。

カシミール紛争

カシミール地図

カシミール地方とは、上の地図で色が塗られているエリアです。緑に塗られているエリアがインドの実効支配地域、茶色がパキスタン、紫が中国です。

インドは、中国とパキスタンが実効支配している地域も含めカシミール全体がインドの領土と主張しています。パキスタンは、中国の実効支配地域を除く全域がパキスタンの領土だと主張しています。

まずは、カシミール地方を巡って領土問題が発生した経緯をご説明します。

イギリス領インド帝国時代から独立まで

事の発端はインド共和国の建国時まで遡ります。インドは1947年までイギリスが統治していました。イギリス領インド帝国時代は、日本でいう江戸時代の幕藩体制のような政治体制が敷かれており、天領にあたるイギリスの直轄地と、大名にあたる藩王(マハラジャ)が支配している領地に分かれていました。

イギリスは自分が儲かれば良いと考えており、インドの文化などに干渉するつもりはなかったので(インド人をイギリス化するつもりはなかったので)、藩王に統治を任せて税金だけ吸い上げていました。

藩王の領地は大小さまざまなで、大きい場合には日本の約半分の面積に相当する20万㎢を統治していましたが、小さい場合には数㎢を統治していました。

上述の通り、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の激しい対立により、1947年にイギリスが撤退するとヒンドゥー教徒が多い地域はインドとして、イスラム教徒が多い地域はパキスタンとして独立を果たしました。

カシミール藩王国の帰属問題の発生

こうして、インドとパキスタンという2つの国がほぼ同時に誕生しましたが、当時イギリス領インド帝国内に565あった藩王国は、それぞれインドとパキスタンのどちらに属するかを決めなければなりませんでした。

※なお、現在のインドの地方行政区画は民主化され藩王が統治しているわけではありませんが、現在でも藩王の子孫は豪華な宮殿に住んでいることが多いです。

参考 マハラジャ 即位式

ヒンドゥー教徒の多い地域の藩王はインド、イスラム教徒の多い地域の藩王はパキスタンへの所属を決定しましたが、インドとパキスタンのどちらに帰属するのか問題となったのがカシミール藩王国でした。カシミールはラダック地域など一部を除きイスラム教徒の多い地域(住民の8割はイスラム教徒)ですが、藩王のハリ・シング自身はヒンドゥー教徒でした。

困った藩王のハリ・シングは独立を考えていましたが、1947年の8月11日に独立派だったラム・チャンドラ・カークを免職したことにより、パキスタンは「カシミールはインドに加入しようとしている」と憶測を呼びました。

カシミール帰属問題の勃発

パキスタンはカシミールがパキスタンへ加入するよう様々な工作を試みます。そんな中、パターン(Pathan)族という人たちがパキスタン政府の意向を受けて(いるかどうか分かりませんが、カシミール藩王はそのように理解しました)パキスタンへ侵攻しました。

藩王のハリ・シングはインドのネルーに助けを求めましたが、ネルーはカシミールのインド帰属に関して様々な条件をつけました(政治犯Sheikh Abdullahの釈放など)。

この点について、インド人の知人は「あのときネルーがモタモタとせずに、パターン族の侵入を受ける前にさっさとカシミールへ軍隊を派遣しておけば問題が長引かずに済んだんだ!カシミール紛争はネルーが悪い」と、インドの建国者ネルーに対する怒りを露わにしていました。

カシミール藩王のハリ・シングはインドに対して至急軍隊を派遣するよう依頼しましたが、インド側は「その前にインド加入へのサインが先だ」として、カシミール藩王国は1947年の1026日に正式にインドへ帰属することになりました。

さて、インドの部隊は1947年の1027日にカシミールへ派遣されました。このあとパキスタンの正規軍も派遣され、第1次印パ(インド・パキスタン)戦争が勃発します。1948年に停戦し、カシミール藩王国の約6割がインド領、残りの約4割がパキスタン領となりました。このあと1962年には中国もカシミール地方へ軍事介入し、インドからアクサイチン地方を奪って実効支配します。

現在、インドはカシミール地方の全領域をインドの領土として主張しており、パキスタンは中国が実効支配しているアクサイチンを除く全域をパキスタン領として主張しています。

2019年2月に発生した衝突

2019年の2月14日、カシミールのインド側領域でバスによる自爆テロが発生し、40人のインド兵士が亡くなりました。

これに対しては、パキスタンに拠点を置くジャイシュ=エ=ムハンマドというイスラム過激派組織が犯行声明を出しました。

インドは自爆テロ実行の黒幕にパキスタン政府がいると疑っていますが、パキスタン政府はこれを否定していました。

その後、2月26日にインドはカシミールのパキスタン側を空爆し、過激派の拠点を攻撃して350人あまりを殺害し成果を上げたと発表しましたが、実際には目標への空爆は行われず特に成果は上がっていなかったようです。

※「空爆によってテロリストにダメージを与えた」と宣伝することによって2019年5月の選挙を有利に進めようとしていたのではないかと考えられています。

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パキスタンとの関係に関するインド人への5つの質問

私が住んでいるチェンナイはカシミールから2000km以上離れていて、治安もとても安定しています。

チェンナイはムスリム(イスラム教徒)がとても少ない場所ではありますが、2008年にはムンバイで同時多発テロが起きており、また2019年4月にはチェンナイの目と鼻の先にあるスリランカのコロンボで同時多発テロも発生したので、人混みを避けるなど注意したいと思います。

さて、パキスタンとの争いがホットな話題となっていたので、レストランでたまたま居合わせたインド人に、パキスタンについて質問してみました。なお、質問相手は全員ヒンドゥー教徒でした。

インド人はみなカシミール問題でパキスタンに反対する考えを持っていますか?
個人的にパキスタン人と仲良くしているインド人はいるかも知れません。しかし、カシミール地方をパキスタンへ割譲すべきだと考えているインド人はほぼいません。カシミール地方に住んでるムスリムのうち一部だけがインドから独立してパキスタンに合流したいと思っていて、パキスタンを支持しています。
カシミール以外の地域に住んでるインド人のイスラム教徒はパキスタンを支持しないんですか?
インド国内にいるムスリムはイスラム教徒である以前にインド人であって、パキスタンのことは支持しません。ひょっとしたら腹の底でパキスタンを支持しているムスリムもいるかも知れませんが、それを表明することはありません。
カシミール地域に住んでいる人たちが住民投票をして決めれば良いのではないですか?
カシミールの住民は8割がイスラム教徒だから、住民投票をしたらラダックを除いて全てパキスタンの領土になります。パキスタンには住民投票を主張している人も大勢います。しかし、インドとパキスタンの帰属を決めるときに、各藩王国で住民投票などしていません。カシミール藩王がインドへの帰属を決めたのだから、カシミールは本来インドの領土です。
インド国内でイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立はないんですか?
ほぼありません。10月のガネーシャ祭りのときにハイデラバードなど一部の地域で小規模の小競り合いが起こることはありますが、パキスタンとの衝突に比べたら取るに足らない問題です。もちろん、一部の過激なヒンドゥー主義者にはイスラム全体に対し悪い感情を持っている人もいます。しかし、インド国内ではヒンドゥーとイスラムは共存しており、イスラム全体に対し嫌悪感を持っている人は少ないと思います
ヒンドゥー教徒はイスラム全体に対して嫌悪感を持っていますか?
そんなことはありません。インドが問題を抱えているのはパキスタン(と中国)だけです。インドはバングラデシュやUAE、トルコなど多くのイスラム諸国と友好的な関係を維持しています。そもそもパキスタンとの対立は領土紛争であって、宗教争いをしているわけではありません。

質問したことは以上です。私がいる南インドのタミルナドゥ州は(インドでは珍しく)歴史的にイスラムの支配を受けたことがなく、住民の殆どはヒンドゥー教徒で、最もヒンドゥーの伝統が維持された地域です。

そして、イスラムとの紛争も経験していません。今回の回答は、そのタミルナドゥ州でたまたま居合わせたインド人数名から聞いたことであることをお含みおきください。

歴史的にイスラムの支配を受け、イスラム教徒の多かった北インドへ行くと全く違う意見を聞くかも知れません。よりイスラムに対して理解があるかも知れませんし、逆に身近な分だけイスラムへの反発が強いかも知れません。

また別の意見を聞いたら、随時この記事をアップデートしていきます。

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