2020-21年にインドで経験したロックダウンと感染爆発の振り返り3

2020年から2021年にかけてインドで経験したロックダウンと感染爆発について振り返ります。

今回は、2020年にインドでロックダウンが始まってからの経緯です。

前回はこちら→2020-21年にインドで経験したロックダウンと感染爆発の振り返り2

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インドへ戻る

チェンナイ

2020年の秋にはインドでも感染が落ち着いて元通りの生活へ戻っていましたので、2021年春には私も日本からインドへ戻ることにしました。

この時、日本へ戻って時間があったためUSCPA(米国公認会計士)という資格の勉強を始めていました。コロナがなければ勉強する時間を作ろうともしなかったので、(不謹慎ですが)良いきっかけになりました。

USCPAはアメリカの試験ですが、日本でもインドでも受験することができます。

ちなみに、他の受験国はヨーロッパや中東のUAEなどで、親米の国が多いようです。中国や東南アジアでは受験できません。

この時には、まさかUSCPAが理由で数か月後にまた日本へ戻ることになるとは思いもよりませんでした。

この時のインドは完全にウィズコロナになっており、一応PCRの陰性証明は必要だったものの入国者の隔離などはありませんでした。

日本で陰性証明を取得してデリーの空港で準備していましたが、入国の担当官は陰性証明の紙の日付と“Negative”の文字だけチェックして終わりでした。

10秒もかかりません。これでは個人的にA4のファイルで適当に陰性証明を偽造しても全くバレないのでは?と感じました。

比較すると、私が2022年11月に中国へ渡航した時は、単なる陰性証明ではなく、中国政府指定の陰性証明を取得して大使館のホームページへアップロードし、大使館のお墨付きを証明するQRコードを取得しなければならなかったので、極端な差がありました(詳細は【2022年11月】中国広州の入境者8日間集中隔離の経験記録をご参照ください)。

この頃はまだ欧米を中心に引きつづき感染が続いており、ワクチンも開発されていなかったので、警戒感を完全に緩めて良い状況とは言えませんでした。

なおインドの家に約1年ぶりに帰ると、エアコンの電源を入れた瞬間に発火し、一歩間違えればカーテンが燃えそうになったので背筋が凍りました。

インドでの感染爆発

チェンナイ ロックダウン

感染者数が急に増え始める

3月末ごろから再びポツポツと感染者が出始めていました。

4月に入るとどんどん感染者が増えていき、4月15日には1日あたりの新規感染者が10万人を超えました。

前年の2020年はピークでも10万人程度だったので既に超えていました。

とても奇妙だったのは、昨年とは異なり全くロックダウンの気配がなかったことです。

4月上旬の時点では、周囲の日本人の人達も普通に飲み会を開催したり旅行をしたりしており、あまり気にしていないようでした。

私はもともと1人でいるのが好きな性格なので人とは会いませんでしたが、散歩はしていました。

しかし感染者数の増加傾向が爆発的だったので非常に不安になってきました。

感染者数が急に増え始める

4月上旬には取引先の方が陽性になり、私は濃厚接触者だったので念のため自主的にPCR検査を受けました。

しかし、私が自主的に受けなければインド政府からPCR検査を求められることはなかったため、感染者の追跡は全く行われていない(追いつかない)ことが分かりました。

それなのに1日あたりの新規感染者数が10万人も出ているということは、実際はもっと恐ろしいことになっているはずです。

しかも厳格にロックダウンをしていた昨年とは異なり、今年は誰もコロナを気にしていない状況だったので、想像を絶するスピードでの感染爆発が予想されました。

それでもインドの中央政府が全くロックダウンを実施する気配を見せなかった理由は、昨年厳格なロックダウンをやり過ぎて貧しい出稼ぎ労働者がバタバタと行き倒れてしまったことへの批判が中央政府へ殺到したからのようです。

2020年は毎週のように首相がテレビで演説をしていましたが、2021年は全く首相が表に出てきませんでした。よほどトラウマがあったようで、ロックダウンは各州に任されました。

ロックダウンが始める

中央政府がロックダウンをしないので、地方政府(タミルナドゥ州政府)が独自にロックダウンをするようになりました。

デリバリーを全く使えず栄養失調になることを心配した前年とは異なり、2021年のロックダウンは一貫してデリバリーが動いており、スーパーも開いており、水も調達できて、食糧難になる心配は全く感じませんでした。

しかし、5月初旬には新規感染者数が40万人に達し、もはや手遅れ、後の祭りとなっていました。

デルタ株の大流行

実際の新規感染者は40万人どころではなく、100万人を超えていただろうと言われています。

2022年には人口がインドの10分の1以下しかいない日本の新規感染者数が20万人となったため、インドの人口規模で100万人と聞いても大した数ではないと感じてしまいますが、当時はワクチンも未接種で、しかもオミクロンではなくデルタ株でした。

当初はデルタ株ではなく「インド株と呼ばれており」

どうして「中国肺炎」と呼んではいけないのに「インド株」と呼ぶのは問題にならないのか?差別ではないか?

と憤っている人たちが大勢いました。

それまでの新型コロナウィルスは基礎疾患がある方か高齢者以外は重症化しないと言われており、20-30代で重症化するのは稀でしたが、インドでは30-40代の若い方でもバタバタと倒れていきました。

この頃は日本のテレビでも連日インドの様子が報道されており、火葬が間に合わない遺体を直接川へ流してしまう映像や、遺体を置く場所がなく駐車場にビッシリと遺体が並べられた映像がセンセーショナルに取り上げられました。

インド在住者にマスコミから頻繁にコンタクトが来て、私自身もTwitter経由でDMをもらい取材を受けました。

当時、「これはフェイクニュースではないか?」とも言われましたが、フェイクニュースとは言えないと思います。

私は実際に見たわけではなく、家に引きこもっていたので平和に暮らしていましたが、周りの状況は

  • 同僚や取引先のうち3人に1人はコロナに感染
  • 取引先の40代の方が呼吸困難になり、入院して人工呼吸器を装着
  • 直接の知り合いで50代の方が1人お亡くなりになる
  • 知り合いの知り合い(取引先のインド人スタッフの親など)が亡くなる
  • 北インド(デリー)の日本人の知人によると、会社のSlackメッセージが人工呼吸器の情報交換で埋め尽くされる

4年間インドで働いていて、この時以外で「親が亡くなりました」と報告を受けたのは2回しかありませんでしたが、この時はたった1か月間で6回も「親が亡くなった」「兄弟が亡くなった」と聞いたので、度肝を抜かれました。

私がいた南インドのチェンナイは比較的落ち着いていましたが、デリーなどでは人工呼吸器やベッドが足りていませんでした。

上述の取引先の40代の方は、もしデリーに住んでいたら入院や人工呼吸器の手配が間に合わず命を落としていたかもしれません。

私の身近だけでもこれだけ恐ろしい事態になっていたので、その状況から論理的に推定すれば、「火葬が間に合わず川に流す」という事態がインドのどこかで発生していても全く不思議ではありません。

この頃は中国が一番の栄華を誇っていて、世界各地でのデルタ株の大流行を尻目にゼロコロナ政策の成果を国民と全世界にアピールしていました。

日本人の一時帰国ラッシュ

私はコロナになってから日本とインドと中国を行ったり来たりしており、あちこちでロックダウンや緊急事態宣言、感染爆発を経験しましたが、この2021年5月のインドでの感染爆発が最も怖かったです。

2022年12月に中国でゼロコロナが緩和されて数千万人単位の感染爆発が起き、私の同僚や友人たちはほぼ全員感染しましたが、みんな2週間以内に全壊しており、人工呼吸器が必要になったとか、亡くなったという話は聞きません。

もちろん中国では感染者の母数が数千万人単位と言われているので、いくら重症化率が低くても死亡者が増えているのは間違いありませんが、「自分自身が呼吸困難になるリスク」と考えれば極めて低いです。

しかし、2021年5月のインドでの感染爆発は30代の人が亡くなったという話も聞きましたし、知り合いの50代の方も亡くなったので、私自身もいつ呼吸困難になって亡くなっても不思議ではありませんでした。

このような状況のため、1~3月に日本からインドへ戻ってきたばかりの人達が再び日本へ戻ることになりましたが、この時は私はインドに残ることにしました。

  • 去年と違ってデリバリーが動いており食糧難のリスクはない
  • 家から一歩も出なければ感染リスクは低い
  • 1人暮らしなので家族経由での感染リスクもない
  • 日本への帰国はデリー経由になり、空港や機内でデルタ株に感染する方が怖い

という理由でした。

この頃はあまりにも状況が悲惨すぎてTwitterも殆どやっていませんでした。

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日本へ戻る

2020年に日本でコロナの波を何度か経験し、感染が急拡大した場合には終息も早いことが分かっていたので、インドの感染はすぐに終息するだろうと思っていました。

実際にその通りで、6月中旬にはすっかり状況が落ち着いてきて、生活も元通りになりました。

私はUSCPAの勉強をしていてインドでの受験を予定していたのですが、感染が落ち着いてきたにも関わらず一向に受験会場の予約が再開する気配がありませんでした。

USCPAは最初の科目に合格してから1年半以内に全科目合格しないと合格した科目が失効するという恐ろしいルールがあったため、早く受験したいと思っていました。

いつまでもインド会場の再開を待っていられなかったので、感染が終息してから日本へ戻って受験しました。

これ以降インドについては平和な日々が戻りましたが、私自身は2022年2月のオミクロンの感染爆発時に日本で感染し、その後ゼロコロナを掲げる中国へ渡航することになりました。

中国と日本とインドの対策や状況を比較すると、国柄がよく出ています。

中国で経験したことについて、こちらでまとめています→【2022年11月】中国広州の入境者8日間集中隔離の経験記録

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