2020-21年にインドで経験したロックダウンと感染爆発の振り返り1

私は2018年からインドのチェンナイに住んでいましたが、2020年の3月にインドで強烈なロックダウンを経験し、その翌年の2021年5月には感染爆発を経験しました。

2022年12月現在は中国広州で暮らしており、ゼロコロナ解除からの急激な感染爆発に直面していますが、中国での感染拡大に直面してインドでの経験を思い出したので、この機会に振り返ります。

前編は、コロナが始まってからインドでロックダウンが開始されるまでです。コロナが始まった当初に中国を訪問したので、その件についても書きます。

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2020年1月_中国武漢での感染拡大とロックダウン

北京

1/13-17インド旅行中に初めてコロナのニュースを耳にする

2020年の1月13-17日は、私の住んでいるチェンナイではポンガルという休暇があり、休暇を利用してハンピというインドの観光地を旅行していました。

ハンピを旅行中に「中国の武漢で新しいウィルスが発見された」というニュースを見たのを記憶しています。

しかし「感染者は増えているが、特に大きな混乱はない」という報道でしたので、この頃はまさかSARSを超えるような大騒ぎになるとは思ってもみませんでした。

1/20-23 旧正月で北京へ帰省

翌週の1月20日頃になると、段々とコロナウィルスの報道が大きくなってきました。

私は北京出身の妻と結婚しており、春節(旧正月)には北京の実家へ帰省することを予定していました。

2020年の旧暦1月1日は新暦の1月25日にあたりました。

1月22日にインドから日本へ渡航し、旧暦の大晦日にあたる1月24日に日本から中国へ渡航する予定でしたが、前日の1月23日に武漢がロックダウンされました。

その後ロックダウンは世界各地で行われましたが、武漢が初めてのロックダウンでした。

日本の神奈川に相当する地域をいきなり出入り禁止にするなど生まれてから聞いたことがなく、そんなことができるのか?!と衝撃を受けた記憶があります。

この状況で中国へ渡航することに一抹の不安はありましたが、当時は中国でマスクが買い占められているという話があり、妻の実家へマスクを届けるためにも中国へ渡航したいと思いました。

2020年の春節の時点では、まだ武漢がロックダウンしただけで、中国国外はもちろん中国国内も移動が自由でした。

コロナ前に東京の街を大勢の中国人が闊歩していた光景はこの時が最後だったと思います。

春節を利用して大勢の中国人が日本へ来ていたので

武漢ウィルスを日本へ持ち込ませるな。中国人を入国制限しろ!

という意見がネットで盛り上がっていた時期でした。

1/25-28 閑散とした春節の北京

当時の中国はまだ入国制限がなくノービザで自由に入国できたので、無事に北京へ到着しましたが、この年の春節はお通夜のように閑散としていました。

私は2012年に結婚し、それから春節はほぼ毎年北京へ行っていましたが、2015年か2016年頃から北京中心部(確か環状5号線の内側?)では花火や爆竹が禁止され静かな旧正月となっていました。

しかし2020年はコロナのため親戚の集いや広場のお祭りなどもなくなり、みんな家に引きこもって本当に静かでした。

当時は気づかなかったのですが、今から振り返ると中国人のコロナ意識は当初から極めて高かったと思います。

というのも、この頃の北京では電車もバスも普通に動いており、モールも通常営業しており、特に規制はされていなかったのです。

その証拠に、私は妻と一緒に、北京のモールや街を自由に歩き回っていました(親戚から「そんなに歩き回って大丈夫か?」と言われましたが)。

日本では、2020年3月の春分の日をまたぐ3連休は、コロナが拡大しているにも関わらず大勢が外出して問題となっていました。

2020年4月に緊急事態宣言が出されて街中のお店が閉店し、行く場所がなくなってから初めて人通りがなくなりました。

それに対して中国では、中国政府がまだそんなにコロナの恐ろしさを大々的に煽ってはいなかった(しかも、中国国内では武漢の状況はそこまで報道されていなかった)にもかかわらず、北京の方はもともと感染症に対する恐怖心が強かったようです。

私の推測ですが、中国では2003年のSARSの流行の時にも似たようなことを経験したので、感染症に対する意識が日本人よりも高かったのではないかと感じました。

コロナウィルスの発生源は武漢海鮮市場のコウモリと言われていましたが、北京の人達は特に変わったものは食べず、鶏と豚と牛と羊くらいしか食べないと話していました。

いま私は広東省の広州に住んでいますが、こちらの知り合いに「広東省は色々食べると聞いたけど、何か珍しいものは食べるの?」と聞いたら

広州の人
私はそんなに変わったものは食べないですよ。カエルとネズミくらいですかね・・・

と言ってました。

中国の面積は日本の26倍あるので、地域によって文化は色々です。

北京では行動制限はされていませんでしたが、既に防護服での厳戒態勢が敷かれていました。

上海の地下鉄

1/29 北京以上に閑散とした春節の上海

妻はもうしばらく北京に残り、私だけ先にインドへ戻ることになっていました。

もともと、北京から上海へ移動して、上海で3泊くらいフラフラする予定でした(今から振り返ると、コロナ前も既に結構リモートワークをさせて頂いていましたね)。

北京へは頻繁に行っていたものの、上海は2006年以来14年ぶりで、どれほど変化したのか見るのが楽しみでした。

しかし上海は武漢に近く、武漢の封鎖直前に上海へ逃げ出した人も大勢いるということで、上海へ寄るのはリスクが高いのではないかと不安がありました。

北京の親戚からも「真っすぐ帰った方が良いのでは?」と言われたのですが、北京から東京への直行便を予約できなかったため、上海で宿泊するのは断念したものの、上海トランジットで東京へ戻ることにしました。

この時の私は朝から晩までTwitterやYouTubeでコロナの感染リスクを調べており、上海でトランジットするだけならリスクは低いと判断しました。

ただ、上海から東京への機内で感染するリスクが少し怖かったです。

実際のところ、あまりにも人が少なかったので上海で外へ出ても感染しないだろうと思い、地下鉄に乗って少し街を歩きました。

上海の地下鉄は普通に営業していましたが、誰もいませんでした。

1/30 上海から東京へ戻る

東京で用事があったのでインドへは直接帰国せず、1/30に上海から羽田へ戻りましたが、その時も水際対策は何もなく、普通に入国することができました。

政府の水際対策が後手に回っていると批判されていた頃で、安倍総理は「万全の水際対策を行う」と言っていたものの、何もやっていなかったに等しいと思います。

東京へ戻ると、1/24に東京を出発したときとはコロナウィルスに関する報道が一変していました。

羽鳥慎一のモーニングショーでは武漢の惨状が連日報道されており、日本国内での感染者も発生していたことから、コロナに対する警戒心が高まっていました。

しかし中国と比較すると意識はまだまだ低かったです。

北京でも上海でも全員がマスクを装着し、外出制限がないのに不要な外出は避け、空港や地下鉄の係員は全身真っ白な防護服を着ていました。

それに対して日本でマスクをしている人は3分の1もいなかったので、まだまだ例年通りの冬の光景でした。

当時は「インフルエンザより死者が少ないのに、なんでコロナだけ騒ぐんだ」と言っている人も多かったです。

2020年2月_中国からインドへ戻り肩身が狭い

チェンナイ 海

 

2/5 東京からインドへ戻る

2月5日の飛行機で東京からインド・チェンナイへ戻りました。

日本では、クルーズ船のダイヤモンドプリンセス号から陽性者が発見されて大騒ぎになっていた頃です。

このとき「14日以内に中国へ行った人は入国時に申告してください」という通達がありました。

このとき、「チェンナイの空港は相変わらずだなー」などと笑っていましたが、あと1日遅かったら大変なことになっていました。

翌日の2月6日に、1月15日以降に中国へ入国した人はインドへ入国できないことになりました。文字通りギリギリセーフでした。

今から振り返ると意識が甘かったですが、当時は世界の国を気軽に旅行できるのが当たり前で、入国制限とかロックダウンなどという話は前代未聞だったので、「まさか」という感じでした。

妻は戻れなくなり、ここから3年近く別居が続いています。

インドには入れたものの、一度出国してしまうと「2020年1月15日以降に中国へ入国した人は入国禁止」というルールに引っかかってインドへ入れなくなるので、インドに缶詰状態となりました。

私は2~3ヶ月に1回くらいタイやマレーシアやシンガポールへ気分転換に出かけていたので、ずっとインドから出られないのは少し大変で、「早くコロナ終わらないかなぁ?」と思っていました。

まさかまだ始まってすらいないとは思いもよりませんでした。

武漢の惨状はインドでも大々的に報道されており、インド人の知り合いから"How was China?"と聞かれたりして少し肩身が狭い感じでした。

2月下旬 インドでも感染者が発見される

2月上旬は、まだ感染爆発は武漢に止まっており、武漢へ邦人救出のチャーター便が飛ばされていました。

2月下旬になると徐々に海外でもコロナによる死者が散見されるようになり、日本でも感染者が100人を超えていました。

しかしインドではまだまだ「対岸の火事」という雰囲気で、コロナの話題は殆ど出ませんでした。

武漢からチャーター便で帰還したインド人が全員陰性で、「カレーを食べればコロナに効果があるんじゃないか?」などという都市伝説が流布していました。

そんなインドも、3月に入ると少しずつコロナの影が出てきます。

インドでも少しコロナの感染者が出始めた頃でしたが、まだまだ数名というレベルでした。

3月上旬はイタリアを筆頭に欧米で本格的な感染爆発とロックダウンが始まったころです。

欧米に比べればインドの感染者はまだまだ少数でしたが、インドは人口が多く医療体制が脆弱であったことから警戒感がMAXになっていました。

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2020年3月 インドにもコロナの波が襲来

チェンナイ

3月22日 インドでプレロックダウンが実施される

インドもいよいよ感染者の類計が500人に迫り、コロナの話題で持ちきりになってきました。

私が住んでいた南インドのチェンナイは比較的落ち着いていましたが、デリーやムンバイでは感染者が増加していました。

そんな折、インドで1日限定外出自粛デーの発表がありました。

3月19日(木)に「3月22日(日)の午前7時から午後9時までインド全土で外出自粛」と言われました。

3月22日に同僚の結婚式があり、チェンナイから350kmくらい離れた場所へ夜行寝台列車で行く予定でした。

今回は「外出禁止」ではなく「外出自粛」であり、電車なども動いているようなので、行きたければ行っても良いのでは?と思いました。

しかし別の同僚に「たぶん行ったら大変なことになる可能性があるから、今はチェンナイを離れない方がいい」と止められたので諦めました。

今振り返ると行かなくて大正解でした。行ったら大惨事になっていた可能性もあります。

感染拡大が進んでいたデリーやムンバイでは、全土の外出制限以前から既に州独自の外出制限が始まっていたようでしたが、チェンナイは感染者が少なかったので自由でした。

全てが通常営業で、「みんな本当に明日は外出自粛するの?」と疑問に思う程でした。

多くの人は3月22日時点では「1日だけの我慢」と思っていましたが、鋭い人は1日だけで終わらないことを見抜いていました。

こうして3月22日を迎えました。

3月22日は「外出禁止」ではなく「外出自粛」だったので、別に外出しても良かったのですが、「郷に入れば郷に従え」で外出自粛要請に従って夜まで引きこもりました。

夕方5時には全員がベランダに出て拍手し、医療従事者に感謝の気持ちを伝えるというセレモニーも行われました。

私は1日家に引きこもるのが耐えられない性格なので夜になったら外出しましたが、チェンナイはもともとインドの他の都市と比べて意識が低かったので、規制に従わず外出していた人は一定数いたようです。

3月23日と24日はインド全体での外出規制はなく、各州政府が独自に規制を敷いていました。

感染者が多かったデリーやムンバイでは州政府が厳格なロックダウンを敷き、街は閑散としていたようですが、チェンナイは自由に出歩くことができました。

但しチェンナイの外へは移動できなかったので、もし350km離れた同僚の結婚式へ参加していたらチェンナイへ戻ってこられなかった可能性がありました。

このような状況でしたが、間もなく厳格なロックダウンが始まるのではないかという緊張感はありました。

スーパーへ行くと買い占めが始まっており、みんな大量の食品を買い込んで棚は空っぽになりつつありました。

インドの水道水は飲めないため、水を買えなくなったら死ぬと思い、とりあえず水を大量に買いつけました。

3月上旬にはほぼコロナの影響はなかったのに、あっという間に状況が厳しくなっていったので、状況の変化に戸惑っていた時期でした。

コロナ感染の中心が中国武漢から欧米へ移る

この頃、Googleアドセンスからこのブログの広告料が振り込まれるはずなのに、お金が払われませんでした。

「なんでだろう」と思って調べたら、アメリカで感染者が10万人を超えロックダウンが起きていることから、Google社員が在宅ワークになり支払がうまく進まなかったようでした。

「地球の裏側のアメリカでもコロナが流行ってるんだなぁ」と実感したころ、武漢のロックダウンは4月8日で解除されることになりました。

中国が厳格な入国制限を敷くようになり、既にコロナの中心が武漢から欧米へと移っていました。

当時、欧米では万単位で感染者が出ていたのに対しインドは僅か500人程度だったので「やり過ぎではないか?」という批判もありましたが、欧米のような大惨事になる前にロックダウンを行う方針でした。

3月25日 21日間のロックダウンが発表される

3月24日の夜8時からモディ首相が演説を行い、25日の深夜0時から(つまり発表の4時間後)インド全土で21日間のロックダウンを行うと発表されました。

このロックダウンは凄まじい内容でした。

続きはこちらの記事→2020-21年にインドで経験したロックダウンと感染爆発の振り返り2

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