インド ラダック ゴンパ

インドにはラダックという、チベット文化が花開く場所があリます。

「チベット」というと中国のチベット自治区を想像しますが、歴史的な経緯によりラダック地域は中国ではなくインドの一部となっています。

中国のチベット寺院は1960〜70年代の文化大革命期に壊滅的な破壊を受けましたが、ラダックはインドにあり文化大革命による破壊を免れたため、ラダックにはチベット以上にチベットの文化遺産が残っていると言われています。

この記事では、ラダックとはどんな場所か、そしてチベットとの共通点や違いについてご説明します。

ラダックの場所

インド ラダック ヌブラ渓谷

ラダックは、インドの最北部にあるジャンムー・カシミール州にあります(2019年8月現在)。

カシミール地図

ジャンムー・カシミール州とは上記インド地図の緑色の地域ですが、ラダックはこのジャンムー・カシミール州の東側にあたります。

色々とスッタモンダあった結果、2019年10月末以降ラダックはジャンムー・カシミール州から分離され、中央政府の直轄領(Union Territory)となります。

詳細は別の記事でご紹介します。

ラダックは歴史的な経緯によりインドの一部となっていますが、高度3000メートルを超えるチベット高原の最西部に位置し、文化的にはチベット文化圏の一部となっています。

ラダックの気候

インド ラダック パンゴンツォ

ラダックの気候は、インドの他の地域とは全く異なります。

ラダックは6〜9月が最も温かく、気温は20度代になります。それ以外の時期は基本的に寒く、冬の時期に至ってはマイナス20度から30度くらいにまで下がります。

私が住んでいるチェンナイでは真冬の1月でも気温が28度くらいと、真夏のラダックよりも暑いくらいなので、インドの広さを実感します。

ラダックの歴史

インド ラダック ゴンパ

なぜラダックはチベット文化圏なのに中国ではなくインドなのか?についてご説明します。

古代(9世紀頃)のラダックは正にチベットの一部でした(吐蕃王国)。

しかしその後はラダック王国としてチベットから独立し、17世紀以降は中央チベット(ラサ)のダライ・ラマ政権とも対立していました。

チベットは非常に広いので、チベット仏教を信仰するチベット文化圏も一枚岩ではなく、様々な対立がありました。

偶然ですが、ラダックが中央チベットのダライ・ラマ政権と対立していたことは非常にラッキーでした。

ラダック王国は19世紀にカシミール藩王国に飲み込まれました。

カシミール藩王国はイギリス領インド帝国に属していたので、現在のラダックはインド共和国の一部となっています。

一方、中央チベットのダライ・ラマ政権は中国の支配下に置かれました。

中国のチベット自治区は、1965-75年頃の文化大革命期に、6000もの寺院が破壊され、120万人ものチベット人が殺害されたそうです。(参考URL ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

もし19世紀以前にラダック王国がダライ・ラマ政権に屈服していたら、今頃はラダックも中国に支配され、チベット同様に文化大革命で殆どの寺院が破壊されていたかも知れません。

ラダックはインド領となったことで中国による破壊から逃れることができ、15-16世紀の古いチベット寺院や仏像が破壊されることなく残っています。

チベットとラダックの違い

インド ラダック ゴンパ

ラダックではチベット文字が使われ、チベットの方言が話され、チベット仏教が信仰されています。

ラダックはチベット文化圏に属し、多くの外国人にとっては、チベットと全く区別がつきません。

ラダックとチベットは別

しかし、たとえ同じ文字を使っていてもラダック語とチベット語は異なり、ラダック語とチベット語はお互いに全く通じないそうです。

ラダック人から聞いた話によると、1950年代以降にチベットから逃げてきてラダックに住んでいる亡命チベット人とは会話が成立するそうですが、何を話しているのか聞き取れないことも多いそうです。

見た目は同じチベット文字を使っているので不思議に感じますが、同じラテン文字を使う英語とスペイン語が全く違う、というのと同じです(日本語と中国語も似たような漢字を使うので、「日本語と中国語は全く通じないよ」とインド人に話すと驚かれることがあります)。

言語の他、服装などもラダックとチベットとでは異なるようです(1週間旅行しただけの私にはよく分かりませんでしたが)。

ラダックはインドの一部ですが、「インド人」という意識は薄く、かと言って「チベット人」という意識があるわけでもなく、「ラダック人はラダック人」であるようです。

ラダックはチベット文化の影響が濃いとはいえ、長い間別の国だったこともあり文化は異なるようです。

ラダックとチベットとの交流

インドのラダックは中国のチベット自治区に接しています。

パンゴンツォという観光名所として有名な湖は3割がインド、7割が中国に属し、国境が接していますが、現在は中国からインドへ直接陸路で行くことはできません。

従って、地理的には隣接しているラダックとチベットですが、現在では全く交流がないそうです。

ラダック人によると約25年くらい前までは国境管理が甘く、「関所破り」をする遊牧民が大勢いて物々交換なども活発に行われていたそうです。

しかし現在は国境の取り締まりが厳しいため「関所破り」は非常に難しいそうです。

ラダックは東へ行けばチベット、北へ行けばウイグル、西へ行けばカシミール、南へ行けばインド、と、地理的に恵まれており交流拠点として栄えてきました。

しかし戦後発生したインドとパキスタン・中国との国境紛争により、周辺地域との交流がすっかり途絶えてしまいました。

現在はインドの辺境地となってしまいましたが、チベット文化を色濃く残す観光地として多くの人が訪れています。

ラダック人にも尊敬されるダライ・ラマ14世

先ほど「インドの歴史」の項目で、かつてラダック王国は中央チベットのダライ・ラマ政権と対立したことがあった、と書きました。

しかし現在、ラダックでは寺院やレストランなど街の至る所でダライ・ラマの写真と亡命チベット政府の旗が掲げられています。

ラダック レーのレストラン

ラダック レーのレストラン

「この写真や旗はチベットからダライ・ラマと一緒に逃げてきた亡命チベット人が掲げているのですか?それとも、元々ラダックに住んでいた人もダライ・ラマのことを尊敬しているのですか?」と質問しました。

すると「亡命チベット人だけでなく、ラダック人全員がダライ・ラマのことを尊敬しています。ラダックでは基本的に全ての家庭でダライ・ラマの写真が掲げられています。ダライ・ラマもラダックのことが好きで、毎年7月頃にラダックへやってきます。今年(2019年)は病気の治療のためアメリカへ行ってしまい、ラダックへは来ないようですが・・・」と言っていました。

ラダックの治安

インド ラダック メインバザール

ラダックはインドがパキスタン・中国と国境紛争で揉めているカシミール地方に近接し、パキスタンや中国との国境に迫っています。

パキスタンとの国境地帯は外務省の安全情報で「レベル4(退避して下さい)」となっています。

しかしラダックは仏教文化圏であり、カシミール紛争とも一定の距離を置いているため、治安は極めて良好で、外務省の安全情報でも他のインド地域と変わらない「レベル1」とされています。

2019年8月5日にジャンムー・カシミール州の自治権剥奪とラダックの分離・中央政府直轄化が実現しインド全体で騒ぎとなりましたが、それでもラダックの治安は安定しています。

ラダックの中央政府直轄化については別の記事でご紹介します。

チベット文化を感じられるラダック

チベット文化圏は中国のチベット自治区だけでなく、中国の青海省や四川省・雲南省の一部、インドのラダックやシッキム、ウェストベンガル州の一部、そしてブータン王国と、かなり広域に渡ります。

その中でもラダックはデリーから直行便で1時間半と極めてアクセスが良く、チベット自治区と異なり個人旅行でゆっくり観光することができ、かつ中国の文化大革命による被害を受けていないため古いチベット文化を堪能することができます。

ゆっくりとチベットの雰囲気を感じたい・・・という方にはとてもオススメです。

ラダックの楽しみ方については【秘境】インドのチベット・ラダック旅行でオススメの楽しみ方5選という記事でご紹介します。

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