競争が嫌いな人が競争から逃げて良い理由と逃げるための3つの条件

皆さんは競争が嫌いですか?もし競争が嫌いなら、全力で競争から逃げて構いません。

この記事では、なぜ競争から逃げて良いのか、競争から逃げるにはどうすれば良いのか、についてご説明します。

最初にお断りしておきますが、私は競争自体を否定するわけではありません。

競争したい人は競争すれば良いと思いますが、やりたくない競争に巻き込まれる必要はないと考えています。

スポンサーリンク

競争が嫌いな人が競争から逃げて良い理由と逃げるための3つの条件

なぜ競争から逃げて良いのかというと、理由は簡単で競争から逃げても生きていけるからです。

しかし、「競争から逃げて生きていく」と口で言うのは簡単ですが実行するのは難しく、考え方や行動を工夫しなければ知らない間に競争へ巻き込まれてしまいます。

競争から逃げるために必要な条件は以下の3つです。

競争から逃げるために必要な条件
  • 競争から逃げることに罪悪感を持たない
  • 他人の評価を気にしない
  • 得意なこと、楽しいことを見つける

      この条件について、1つずつ説明します。

      競争から逃げることに罪悪感を持たない

      競争から逃げるための条件として最も大切なことは、罪悪感を持たないことです。

      「競争から逃げる」と言うと、何か悪いことをしているように感じてしまいませんか?

      競争から逃げたら自分には生きる価値がなくなってしまう・・・と考えてしまうかも知れませんが、全くそんなことはありません。

      確かに世の中には「競争から逃げるな」と言って、競争を煽ってくる人がいます。

      競争から逃げることに罪悪感を持たないためには、競争を煽ってくる人の考え方の誤りを理解することが有効です。

      そこでまず、競争を美化する人達の主張について検討してみましょう。

      競争強制派の主張1:競争をしなければ生きていけない

      幼い頃から運動会の徒競走、受験競争、会社に入ったら出世競争や企業間でのシェア争いなど、世の中は競争で溢れています。

      小さい頃から戦い続けていると

      戦いに勝たなければ生きていけないぞ

      と考えてしまうのも無理はありません。

      無理はありませんが、視野を広げれば競争から逃げることができます。

      例えば、大学受験の競争が嫌なのであれば、高卒で就職したり、自分の好きな分野の専門学校を見つけて入学すれば良いですし、会社の出世競争に疲れたら転職すれば良いです。

      給料が下がることはあっても、生きていけないことはないはずです。本当に生きていけない収入として国際貧困ラインの1日1.9$(約200円)が定められていますが、日本で競争に敗れただけで1日1.9ドル以下になることはないでしょう。

      私の場合、日本だと転職市場で自分の評価を上げるのに非常に苦労しましたが、インドへ来ると競争相手が少なく、同じ仕事をしていても非常に評価されます。

      本当に競争から逃れられない状況とは

      世界で「競争に勝ち残らなければ本当に死んでしまう状況」というのは極めて稀です。

      例えば震災で全員分の食料や水が行き渡らない場合であっても、日本では被災者が食料を奪い合わずに分かち合うことで、1人でも多くの人が生き延びられるように助け合います。

      海外の震災や紛争では食料の奪い合いになってしまうこともありますが、奪い合うよりも助け合う方が全員で生き延びられる確率が上がります。

      「競争に勝たなければ生きていけない」という考え方よりも「全員で支え合って生きていこう」という考え方が広まるべきでしょう。

      北朝鮮やロシアの権力闘争であれば、競争に負ければ殺されるのでしょうから、確かに「競争に負けたら生きていけない」と言えるかも知れません。

      しかし、「戦いに勝たなければ生きていけないぞ」と言っている人はロシアや北朝鮮で暮らしているのでしょうか?

      競争から逃げて本当に死んでしまう状況というのは極めて悲劇的な異常事態であって、21世紀の現代に日本などの平和な国で生活していたら遭遇することはまずありません。

      従って、上司や先生、先輩などが

      競争から逃げたら生きていけないぞ。世の中を甘く見るな

      などと謎の不安を煽ってきたら

      あなたこそ、自分が勝ち残ることばっかり考えていたら生きていけないぞ。日本人の助け合いの精神を甘く見るな

      と言い返してあげましょう。

      競争強制派の主張2:競争から逃げることは自然の摂理に反する

      自然界は弱肉強食の競争の世界なんだから、競争から逃げることは生物としておかしい

      と煽ってくる人もいます。

      こう言われてしまうと、

      競争が嫌いな私は生物として何か重大な欠陥があって、生きる価値がないのではないだろうか?

      などと不安になってしまうかも知れません。

      この主張に対してはこちらのYahoo知恵袋が分かりやすく「自然界は弱肉強食の競争の世界ではない」と反論しています。

      このYahoo知恵袋の回答は「秀逸な回答」としてインターネットでかなり話題になったものです。

      え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

      弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

      虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

      自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

      そもそも自然界は「弱肉強食の競争ではない」と指摘しています。
      そして、生物にはそれぞれの生存戦略があり、生存戦略が環境に適すると種が存続する、と説明しています。

      人間の生存戦略は、、、、「社会性」

      高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
      個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる"弱者"です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です

      どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の"弱者"を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
      人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

      つまり、競争に勝った人だけが生き延びるのではなく、競争に負けた人でも生き延びられるような社会にすることが人類の生存戦略だと説いています。

      自然環境や社会環境が変化して、競争に勝った人よりも負けた人の方が適者になる可能性もあります。

      例えば、通常は家にずっと引きこもっている人よりも、外で社交的に人と会って視野を広げたりジムなどで身体を鍛えている方が健康的などと言われます。

      しかし新型コロナウィルスが流行し始めから、家に引きこもっても精神的に病むことなく楽しく暮らせるオタクが最も感染リスクが低いという世の中になってしまいました。

      このように、社会全体が突然変わってしまうことがあり、どんな人が適した社会になるのかは事前に予測ができません。

      従って、競争から逃げようが、競争に負けようが、堂々と暮らしていて何ら問題はありません。

      競争から逃げることは自然の摂理には反しませんので、競争から逃げたくなったからと言って「私は生物としておかしいんじゃないか」などと思う必要は全くありません。

      むしろ、競争を強制する人の方が自然の摂理に反すると言っても過言ではありません。

      ビジネス書として全世界でベストセラーになった「7つの習慣」にも次のように書かれています。

      真の意味では、人生は競争ではない。毎日、夫・妻、子供、同僚、隣人、友達と競争しながら生活しているわけではない。
      「お宅ではご夫婦のどちらが勝ってます?」という質問ほど馬鹿げたものはない。両方が勝っていないとしたら、両方が負けているのだ。

      スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣」キングベアー出版 P305

      競争強制派の主張3:資本主義の本質は競争である

      資本主義では競争を通じて商品・サービスの質が向上し、経済が発展する。競争を辞めてしまったら経済が停滞してしまう。だから業界シェアN0.1を目指さなければならない!

      という人がいます。

      「資本主義は競争だ」という言葉はよく聞くと思いますが、本当に資本主義は競争なのでしょうか?

      答えは明確に「否」です!

      業界シェアNo.2でもNo.10でも、顧客に価値のある商品やサービスを提供して黒字を出していれば何も問題ありません。

      例えば、ハンバーガー業界シェアNo.2のモスバーガーの存在価値はNo.1のマクドナルドより低いのでしょうか?

      たとえモスバーガーがマクドナルドとの競争に負けていても、「私はマクドナルドよりモスバーガーが好き」というお客さんは大勢います。

      モスバーガーは、モスバーガーを愛するお客さんが喜ぶように努力を重ねていけば、マクドナルドとの競争を意識しなくても商品・サービスの質は向上するのではないでしょうか?

      倒産しなければならないのは「競争に負けた会社」ではなく「顧客に価値を提供できない会社」です。

      従って、資本主義社会では競争に負けたからと言って存在価値がないわけではありませんし、競争から逃げても構いません。

      それは個人でも同じで、お金を稼ぐために重要なのは周りとの競争に勝てるかどうかよりも、誰かの役に立てて報酬をもらえるかどうか?ではないでしょうか。

      従って、資本主義の本質は、顧客に価値を提供してさえいれば、競争から逃げて好きなことをして良いということではないかと私は考えています。

      もしモスバーガーがマクドナルドと全く同じものを作っていた場合には、マクドナルドとの競争に破れたモスバーガーに生き残る道はありません。

      逆に言うと、他社や他人との競争に巻き込まれず資本主義社会で生き残っていくためのポイントは差別化です。

      自分の個性を押し殺して他人との競争に時間を使っていたら差別化をすることができず、どんどん競争に巻き込まれていきます。

      競争を意識せずに自分のやりたいことや顧客に求められていることを追求して初めて差別化が可能になります。

      20世紀の労働者には個性を活かす機会はなかったかも知れませんが、今はブログ、SNS、YouTubeなど、個性を活かして他者との差別化をすることで稼ぐ手段は無数にあります。

      「YouTubeで稼ごう」と思ったら、他人との差別化が何よりも重要です。

      何の尖った個性もない人のチャンネルなんて、つまらなくて見る気がしませんよね?

      自分の個性を殺してやりたくもない競争に巻き込まれている人には、面白いYouTubeの番組は作れません。

      今の時代は、20世紀のように大金持ちや大企業が工場を作って低賃金で人を雇い、製品を作ってテレビでバンバン広告を打てば儲かって安泰という独占資本主義の時代ではありません。

      インターネットが根底から社会を変革し、20世紀型の独占資本主義にトドメを刺しました。

      今の時代は、他者との差別化をして努力を重ねていけば個人でも大きく稼ぐことができる時代です。

      繰り返しになりますが、今の資本主義社会で生き残るポイントは競争に勝つことではなく他者との差別化です。

      逆に、社会主義では職業選択の自由もなく権力闘争からは逃げられませんから、社会主義の本質こそ競争社会ではないか?と私は思います。

      競争強制派の主張4:国際競争に負けてしまう

      厳しいグローバル化の時代を生き延びていくためには、国際競争に勝ち抜いていかなければならない。「競争は嫌だ」などと言っていたら日本は衰退してしまう。

      という人もいます。このように曖昧な根拠で不安を煽って人を動かそうとするのは問題があると私は感じます。

      何が曖昧かと言うと

      • 「国際競争に勝つ」とはどういうことか?
      • なぜ負けると日本が衰退するのか
      • 日本が衰退すると何が問題なのか

      という点です。

      まず「国際競争に勝つ」とはどういう意味でしょうか?

      例えばサッカーや囲碁将棋であれば勝つための明確なルールがありますが、何をすれば国際競争に勝つのかがよく分かりません。

      国際競争を強調する人は、経済規模(GDP)で中国に追い抜かれたことが相当屈辱的であったようですが、GDPは

      生産力(GDP)=労働力(人口)×資本×技術

      で決まるので、人口が多い中国に負けるのは仕方がありません。人口が10倍以上いるということは、優秀な人材も10倍以上いるということです。

      GDPが下がれば国際的地位が下がるのも仕方ありません。しかし、GDPや国際的地位が下がったからと言って日本が不幸になるとは限りません。

      国連の関連団体が実施している世界幸福度ランキングによると、幸福度の高い国はフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、オランダなどのヨーロッパの国が挙げられています。(参考URL:https://s3.amazonaws.com/happiness-report/2019/WHR19.pdf

      日本は58位で、ウズベキスタンやジャマイカよりも低いです。

      そもそも、人と自分の地位や経済力を比較して一喜一憂している時点で幸福とは思えませんが、それは個人でも国家でも同じです。

      明治時代のように「近代化しないと植民地になってしまう」という明確な危機があるなら別ですが、漠然とした不安があるだけで明確な危機は分からないのではないでしょうか。

      漠然とした不安に対処していたらキリがありません。もし

      日本が貧しくなって、日本の土地や企業を全て中国人に買われてしまったら、家賃や配当収入という形で日本人が中国人から搾取されてしまう

      という具体的な心配があるなら、国際競争を勝ち抜くために仕事を頑張るよりも、仕事はほどほどにして外資規制を実現すべく政治活動をした方が良いかも知れません。

      競争強制派の本音:俺が苦しんでるんだからお前も苦しめ

      ここまで、競争の強制を正当化したがる人達のもっともらしい理由(建前)を4つご紹介してきましたが、上述の通り詳しく分析すると大した根拠はありません。

      結局のところ本音は

      私が競争で苦しんでいるんだから、アナタも苦しみなさい。自分だけ逃げるのはズルいぞ。

      と言いたいだけです。

      従って、競争を強制してくる人に対しては「あなただって競争から逃げていいんですよ。苦しまなくていいんですよ」と返すのが1番です。

      しかし実際には、人に説教をしてくるタイプの人があなたの話を素直に聞く可能性は限りなくゼロに近いと思うので、無視して立ち去るしかありません。

      スポンサーリンク

      他人の評価を気にしない

      競争から逃げるための2つ目の条件は、他人の評価を気にしないことです。

      たとえ「競争から逃げることは悪いことではない」という理屈を頭で理解したとしても、日々の生活で実践するのは簡単なことではありません。

      なぜなら、周りの目が気になるからです。

      例えば偏差値の高い高校へ進学した場合、大抵の高校生は本人の意思に関わらず受験競争へ巻き込まれます。

      高校生
      大学受験をせずに、ホテル関係の専門学校へ行ってウェディングプランナーになりたいなぁ

      などと思っても、かなり強い意思が必要になります。なぜなら

      • 名門大学への合格に向けて勉強する同級生から「あいつは怠け者だから専門学校へ逃げた」とバカにされる
      • 親に「せっかく私立の進学高校へ通わせたのに学費が無駄になった」と愚痴を言われる

      などの問題が発生するからです。

      しかも親や先生からは、あからさまに「競争から逃げるな」などと直接的に批判されるケースは少なく

      先生
      大学へ行った方が選択肢が広がる。お前のためを思って言ってるんだ。

      といった形で周りくどく反対されます。

      確かに「やりたいことが分からないから、とりあえず大学へ行って選択肢を広げてみる」というのは良いと思いますが、やりたいことが決まっているのに受験競争へ巻き込まれる必要はありません。

      仕事でも、もし上司が他の社員と比較して「お前はアイツより成果が低い」などと競争を煽るようなことを言ってくるのであれば、自分を正当に評価してくれる会社へ転職するのもアリではないでしょうか。

      周りの目を気にして

      • 上司や先生に褒められたい
      • 人よりも多くの給料をもらいたい
      • 世間からの評判を上げたい

      などと思ってしまった瞬間に、競争から抜け出せなくなります。

      「こういった生活を送りたいから、年収1千万は欲しい」などと、自分の理想の生活から必要なものを逆算して努力する場合は、自分の理想の生活を手に入れたら満足できます。

      しかし「同期のアイツが年収1千万なのに俺の年収が800万では面目が立たない」といった、他人との比較で自分の幸福を測ってしまう考え方に囚われると競争からは抜け出せなくなります。

      もし年収300万円で幸せに暮らしていけるなら、年収1千万円の人と比較する必要はありません。

      私の今の収入じゃとても幸せに暮らしていけないから、競争からは逃げられないよ
      という場合は、「どうすれば競争に勝ち残れるか」ではなく「どうすれば自分が幸せに暮らしていけるか」という視点で考えてみてはいかがでしょうか。

      人と比べて劣っていることが問題なのではなく、自分がハッピーではないことが問題だという視点です。

      自分がハッピーに生きていければ、競争に負けても構わないはずです。

      楽しいこと・得意なことを見つける

      先ほど「専門学校で学びたいことがあるなら、大学受験の競争に巻き込まれる必要はない」という例を挙げました。

      専門学校の受験にも激しい競争があるかも知れませんが、本当に挑戦したい分野であれば頑張れるはずです。

      本当に好きな分野での競争というのは、「競争に勝って周りに尊敬される」ではなく、「やりたいことを実現する」ということが目的になります。

      例えば私もブログを書いていて、自分の書いた記事がGoogleで上位表示されるかどうかはある種の競争です。

      しかし、まずは「誰かの役に立つ記事を書く」というのが目的であって、需要の多い記事を書けた結果として上位表示されるので、上位表示されることを目的にはしていません。

      ブログ嫌いの人が収入だけを目的として記事を書く場合は、「とにかくGoogleでの上位表示」ということが目的になります。

      競争嫌いの人がこのようなことをやってしまうと、競争に巻き込まれて精神的にキツくなります。

      嫌いなことをやると成果や周囲からの評価ばかりを気にして「競争に勝つこと」が目的となってしまうので、競争に負けても「楽しい」と感じられることを見つけることが重要です。

      競争に負けても「楽しい」と感じられることであれば、負けても落ち込まずに継続していけるので、長期的には逆に成果を出すことができます。

      具体的には、得意なことであれば大抵の人は「楽しい」と感じられます。

      得意なことというのは、「自分としては努力しているつもりがないのに、何故か周囲から褒められること」です。

      例えば私は、ややこしいことを整理して文章にまとめるのが好きです。

      インドの社内で発生している状況を整理して、お客様の日本本社へレポートを提出したりすると非常に喜ばれます。

      私としては大して努力しているつもりがないのに、「よく短時間でここまでまとめられましたね」などと言われ、「なんでこんなことで褒められるの?」と思います。

      ブログもそうですが、好きなように文章を書いていたら8000字を超えていた・・・ということがよくあります。

      もちろんまだ駆け出しのブログのため未熟な点が多数あるのは重々承知しておりますが、ブログを書くのはとても楽しいです。

      一方、飲み会や接待、営業などは非常に苦手です。どう立ち振る舞ったら良いか分からないですし、興味もありません。

      会社のお金でお客さんと飲みに行って仲良くなるだけで仕事が取れて給料も上がるから、営業って楽しいですよねー

      などという人が世の中にはいるので、営業活動はそういった人に任せた方が良いと考えています。

      私のような人間が営業で頑張ってしまうと、「競争に勝たなければ」という意識になってしまいます。

      時代は変わっています。

      新卒一括採用・終身雇用制を前提に生涯1つの会社に所属し、数年毎に様々な部署をローテーションで経験してキャリアを積み上げていく時代は、「何でも一人前にできること」が優れていました。

      しかし今の時代は転職も当たり前で、「何でも1人前にできる人」よりも「特定の分野が突出して得意な人」の方が重宝されます。

      苦手なことは他の人がやれば良いからです。

      何が得意なのか分からないうちは何でもチャレンジするのは良いと思います。

      しかし、様々な経験を積むのは何でも1人前にできるようになるためではなく、得意なことを発見して苦手なことを切り捨てるため、ということを忘れないことが肝心です。

      私はどうせ何もできない
      と思い込んでいる人も、単に他の分野でのチャレンジが足りず得意分野を発見できていないため・・・という可能性が高いです。

      競争が好きな人は競争すれば良い

      ここまで、まるで競争が悪であるかのように書いてきました。しかし、そんなことはありません。

      サッカー好きな人が試合で勝利するために一生懸命練習するのは全く悪くありません。

      「悔しい」といった気持ちをバネに頑張ることも悪いことではありません。

      私が言いたいのは、からと言って競争したくない人を競争へ巻き込むなということです。

      運動会で優勝したい人は一生懸命頑張れば良いと思いますが、だからと言って運動会に興味がない人に対して「優勝したくないのか!」などと脅すのはいかがなものかと思います。

      競争に負けても問題はない

      競争が嫌いな人は競争からは逃げて構いませんが、簡単なことではありません。

      • 競争から逃げることに罪悪感を持たない
      • 他人の評価を気にしない
      • 楽しいこと・得意なことを見つける

      というポイントを抑えて、競争に巻き込まれず自由な人生を楽しんでください。

      スポンサーリンク